泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

非「学力」を幼稚園に期待するならば

 内容そのものというより、受けとめられ方が気になる、という記事もある。
幼児教育が人生に与える影響:研究結果
http://wiredvision.jp/news/201102/2011022320.html
 この研究結果について報じる文章に、たくさんのブックマークがつく、というのは何を意味しているのだろうか。
 ネットで少し調べてみると、アメリカの就園児はいま80%ぐらいのようだ。1980年頃には25%程度だったらしい。幼児教育の重要性が次第に理解されてきたということなのかもしれない。
 日本で保育所・幼稚園に通う子どもの割合は、4歳以上児で言うと、95%を超えている。3歳児だと80%ぐらいまで下がる。すなわち、ほとんどの人が「就学前に2年は幼児教育を受けさせたい」と考えているわけだ。
 幼児教育そのものの大切さへの理解は日米いずれにも十分あるのだろう。「公共政策として幼稚園なんていらないんじゃないの?」と疑う関係者を知らない。記事の中で特に注目されているのは、

就学前教育は、さまざまな「非認知的」能力、例えば自制心や粘り強さ、気概などの特性を伸ばすのに効果があったとみられる。

 というあたりなのだろう。しかし、この結論が導き出された理由はよくわからない。
 記事では、

低所得層のアフリカ系米国人の子ども123名(最初のIQスコアは、全員が75から85)を対象に行なわれた調査だ。子どもたちが3歳のとき、実験群と対照群とに無作為に分け、前者には質の高い就学前教育を受けさせ、対照群には就学前教育を受けさせなかった。その後、被験者たちを数十年にわたって追跡し、直近では彼らが40歳のときに、両群の比較分析を行なっている。
成人した被験者を比較した結果、就学前教育を受けた群は、受けなかった群に比べて、高卒資格を持つ人の割合が20%高く、5回以上の逮捕歴を持つ人の割合が19%低かった。離婚率も低く、生活保護等に頼る率も低かった。

 とあるが、「再犯や離婚が多く、福祉に頼りやすい」という状態があったからといって、そこから「自制心や粘り強さが伸びていない」ことが直接に導き出されるわけではない。百歩譲って、それが言えたとしても、この研究対象は現代の日本の標準的な子育て環境とずいぶん違う(倫理的にもよくやれたものだと思うが)。何せ「5回以上の逮捕歴」である。
 これを日本に置き換えたとき、読者は幼児教育に何を期待するようになるのだろう。そこに自分はなんだか不気味さを感じるのである(杞憂かもしれないけれど)。まさか今の日本でも「幼児教育を受けさせていないと、犯罪や離婚や低学歴と結びつきやすい」と言うわけでもあるまい。現代的な文脈では「単純な『学力』だけでは立身出世できそうにないから「社会性やコミュニケーションスキル』を学ばせるために、早くから幼児教育を受けさせよう」という目標設定につなげられていくのではないか。
 「集団に入れることが大事」と、みんな言う。「社会性がないから、早く集団の中に入れるべき」と助言する。人の言うことをきかないから、自分勝手な行動ばかりとるから、他児とうまく遊べないから、早く集団に入れましょう。幼児教育の関係者でも、保健師でもそのように言うことは多い。しかし、これは専門職の意見とは思えないほど、雑な話である。入らないほうがましな集団はたくさんある。この半年ぐらいで関わりをもつことになった「発達障害」の子たちは、多くが幼稚園でつまづいていた。
 幼稚園で泣きながら親から引き離される。周囲の動きについていけない。園行事の練習でひとりだけできない。5歳児の集団に連帯責任をとらせて、「全員ができるまで給食は食べられません」という幼稚園。療育を受けさせたいが「園を休むと、行事の練習に参加できずに、ますます遅れていくから」と断念せざるをえなくなる保護者。
 幼稚園を苦手とする子どもがいる、ということを伝えたいわけではない。「粘り強さ」とか「自制心」とかいう曖昧な言葉で表される力が、具体的にどんなプロセスで育まれていくのかについての理解がない幼児教育に対して、十分な信頼なんて置けない、ということである。ちなみに上の例の一部は「脳科学」熱心な幼稚園での出来事。「科学」を標榜しているからといって、よい幼児教育ができるわけではないことは、知っておいていただけたらありがたい。科学的成果を断片的につまみ食いする幼児教育ならば、「自信をもって」間違ったことをするおそれもあるのだ。