泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

絞っちゃいけない雑巾もある

少し前の記事だが、いま読んだ。
税と社会保障の一体改革:社会福祉法人の1兆円の濡れ雑巾を絞れ! −SYNODOS JOURNAL−
http://webronza.asahi.com/synodos/2011021600001.html
 同じ社会福祉事業を営む者としては、複雑な思いを抱く。我々は社会福祉法人と比べ、税制面など特定の側面において不利な環境に置かれてはいる。正直、うらやましいと思うこともある。しかし、この記事の読者が「特権にまみれた社会福祉法人からもっと搾り取るべきだ」と叫び、隣近所にある福祉施設に対して悪いイメージをもつのだとしたら、あまり良い気分にはなれない。
 当然のことながら、社会福祉法人はそれぞれどんな事業を実施していくのかを決める。社会福祉事業の報酬は事業ごとにばらばらで、率直に言って、稼ぎやすいものも稼ぎにくいものもある。稼ぎやすいものと人々の生活に必要なものがそのまま一致してくれればこれほど楽なことはないが、そんなにうまくはいかない。高い報酬をつければ、次々と手を挙げるところが出てきて、行政の支出も大きくなるから、あえて低い報酬額を設定しているのではないか、と勘ぐられる事業もたくさんある。稼ぎやすいものばかり選べば経営は安定するが、それで十分な支援ができるとは限らない。地域の中で重層的というか隙間のない支援を行なおうとすれば、制度内はもちろん制度外のものも含めてさまざまな事業を進めていかなければならない。
 身近で自分が最も親しくさせていただいている社会福祉法人はずっと経営難である。理事長は、役員報酬をもらうどころか、グループホームで利用者といっしょに暮らしている(この方は、たぶん経営が順調でもそのような生活を選ぶぐらいの人だが)。グループホームの経営はどこも苦しい。入所施設のような自由のない暮らしから脱却しようとすればまだまだ増えねばならない資源だが、やりたがる法人は少ない。真面目な社会福祉法人ならばグループホーム経営に苦しみながら、それでもなお自由になりきれない利用者の暮らしを改善させようと悩むことになる。共に暮らす人を利用者が自分で選べているわけでもないし、物件を自分で探したわけでもない。どこまですれば個人の地域生活を実現したと胸を張って言えるのか。理想の支援を追求すると、個別性がどんどん高くなり、制度の内外で必要とされるコストは上がる。
 一方、つい先日、テレビの情報番組を見ていたら、日本の某所にドイツの洋城をモデルとした「城」が建てられたというレポートが流れた。建設費は40億円で、石垣だけで5億。観光スポットとして一般開放もしているようだし、建設に3年、山頂に建てられた城の高さは45メートルというから、もう完全に本物の「城」である。おそらく近隣ではさぞかし有名だろう。
 番組で「城下町」が映し出されたとき「完全参加と平等」と書かれた石碑のようなものがちらっと見えた。まさかと思いながら番組を見続けると高齢の「理事長」が現れ、城は「障害者就労」のための場所になっていると言う。まず、これはきっと障害者雇用にも積極的な民間企業が社会福祉法人と連携を試みた事例なんだろうと思った。あるいは、理事長がきっとビジネス等で多くの蓄財をした人物で、それを建設にあてたのだろうと思った。ところが、ネットで検索をかけて調べても、理事長は古くから社会福祉ひとすじであり、多数の施設経営をしているだけだった。城には理事長のブロンズ像やレリーフが飾られ、ご丁寧にモノレールまである。いったいどこからどう金が出てきたのか。
 結局、調べてみたところ、戦後まもなくして設立した財団法人とその後次々と作っていった社会福祉法人がひとつのグループとなり、障害をもつ人たちも資本金を共同出資して「国庫補助金を充当せずに」公園と城を作ったということであった。わざわざホームページに「国庫補助金を充当せずに」と大書しているあたり、よほど疑われたのだろう。こうした法人は、結果はどうあれ疑われるべきである。疑いを晴らしても、40億(城建設以前にもいろいろ作っているので、実際はもっと多額)を生み出したメカニズムの不透明さとその使い方の異様さたるや相当なものであるが。
 あまりに城のインパクトが強かったため、思い返すうちに少し論点からずれてしまった。個別の状況を捨象して、潤っている社会福祉法人を「特権的」、経営難にあえぐ社会福祉法人を「経営力がない」と断じれば、総じて「市場化」へとレールは敷かれる。この10年ほどの間に契約制度が導入され、多くの事業に民間企業が参入して、レールはすでに敷かれてきた。自分が従事している事業の中でも、すでに競争させられている、と思える事業がいくつもある。
 より規制緩和を進めよ、というならば、まずはこの10年ほどで進められた規制緩和の功罪を確かめてからでも遅くはない。確かに社会資源は増えた。NPOでできることも増えた。都市部では競争になっているが、地方ではそうでもない事業もある。「質より量」で勢力を伸ばす一方のところもある。押し寄せるニーズを受けとめつつ、一定の規模になったところで「これ以上は大きくなりたくない」というところもある。複数の事業所間で連携が必要なこともある。どう考えたって、シンプルな「競争」にはならない。ひとたび利用者の毎日の生活を支え始めた事業所に「淘汰」なんて幻想である。いくら経営が苦しくなったって、いちど始めた支援は容易にやめられない。
 「社会福祉法人」を論じるのもよいが、個々の社会福祉法人、個々の社会福祉事業を見なければいけないし、特別養護老人ホーム認可保育所を例に挙げて、他の社会福祉事業までひとくくりにされたのではたまらない。そして、なぜそれほどまでに内部留保しようと思うのか、という動機にも迫ってもらわないと、同族経営役員報酬の問題に引きずられて、まっとうな法人まで被害を被るのは避けるべき損失だ。一部の社会福祉法人で支払われる高額な役員報酬というのがどのぐらいの金額であるのかを自分はよく知らない。それでも、理事たちが私腹をこやしているから、保育所が増えない、特別養護老人ホームが増えないなんて、素朴に信じられはしない。誰が信じるんだろう、そんなの。