泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

「老人ホームが内部留保2兆円!」問題のまとめ

 たぶん社会保障関係では有名なのであろう教授が「特別養護老人ホーム内部留保2兆円!」といささか興奮気味でブログに記したのは、12月8日のことであった。

出た!特別養護老人ホーム内部留保は「2兆円」! 学習院大学教授・鈴木亘のブログ(社会保障の経済学))
http://blogs.yahoo.co.jp/kqsmr859

 偉い人が「恵まれっぱなしの社会福祉法人が内部で金を貯めこんでおきながら、報酬増を求めるなんてけしからん」と大声で吠えたのだから、「利権」の匂いに敏感な世間はすぐに反応しかねない。実際に「これはひどい」的な反応をするネット上の意見も見られた。

 ただ、幸いなことに、はてなユーザーは以外と冷静だった。この記事には多くのはてなブックマークがついたものの、特別養護老人ホームや社会福祉法人叩きをするコメントは少なかった。そこまで単純な話ではないんじゃないか、と、非福祉関係者でさえも思えていたのである。

 自分は、翌日に「これだけの情報で特別養護老人ホーム批判はできない。内部留保する理由がわからない。現場からの反論を聞きたい。」という主旨の記事を書いた。しかし、ネット上を探しても、反論は見当たらなかった。高齢者福祉業界の情報発信力も頼りないなあ、と思った。

 さらに2日が経ち、以前に専門学校の講師をされていた方が「施設経営の経験はなく、推測も含むけれど」という留保つきで、反論を寄せられた。

学習院大学教授・鈴木亘の特別養護老人ホーム内部留保批判について ― 鈴木教授が御用学者になる過程遥香の日記)
http://d.hatena.ne.jp/i-haruka/20111211/1323606562

率直なところ、介護保険制度下で特別養護老人ホームが極端な利益を得ているとは思えませんし、実際、介護報酬のマイナス改定が続けられていた2008年には赤字にあえぐ施設や民事再生法の適用を受けた施設も出てきています。

内部留保が必要になるのは、3年に1回改定するという介護報酬にもあります。特に介護報酬改定において社会保障審議会・介護給付費分科会で介護報酬を下げる議論ばかりしているから、介護報酬減に備えて内部留保をある程度つくる必要が出てくるのではないでしょうか。その内部留保の使い道には、人件費も相当含まれていることも想像に難くありません。鈴木氏にはそれこそ介護報酬で賄われているものだと言われそうですが、年功序列賃金制による定期昇給分を計算して介護報酬を改定しているとは考えられません。

また、鈴木氏が内部留保をため込む根拠がないとしている施設整備費の補助金ですが、この補助基準額は実際にかかった費用に税金から補助されるのではなく、国の補助基準額があらかじめ決められていて、その補助基準では施設の設置基準を満たすことができず、どうしても設置者が持ち出しをせざるを得ない仕組みになっています。(中略)恐らく用地確保から設置までに要する費用は、鈴木氏の言う内部留保の額3億円程度では遥かに届かず、地方の比較的土地の安い地域でも約6億円*2、首都圏では10億円近い設置者負担がかかって来ると推測されます。

 教授に対してもっと辛辣な言葉も並んでいるが、そのへんは割愛する。うなずける部分を多く含みつつ、まだこれは非当事者の推測を含むものであった。

 そして、本日12月13日、ようやく「(施設運営の)当事者」からの反論が出た。おそらく高齢者福祉業界ではネット上の発信力が最も高い人のブログである。

内部留保批判に老施協はなぜ反論しない?masaの介護福祉情報裏板)
http://blog.livedoor.jp/masahero3/archives/51845435.html

 内容は、概ね遥香さんの主張を裏付けつつ、さらなるリアリティにあふれたものとなっている。

介護報酬は3年間同じ額なのだから、3年間の当初年で、収入と支出の収支が均衡してしまえば、2年目以降は定期昇給すらできなくなる。しかも現在の国策では医療保険などの事業主負担などに支出すべき法定福利費用が自動的に引き上げられているのだから、事業経営者は、この引き上げ額に対応した収支バランスを考えねばならず、90人程度の従業者を抱える事業者なら、その額は毎年500万程度にあたるもので、3年の当初年にはどうしても最低一千万以上の繰越金を出さねばならない。

しかも介護報酬は改定のたびに引き上げられるわけではなく、事実過去の改定では引き下げが2回、引き上げがわずか1回で、2000年の介護保険制度施行時より介護報酬は低く抑えられている

繰越金があたかも施設整備費にしか使われることのない費用だと論ずる向きがあるが、実は経営年数が短く、職員給与が低い時期に将来増えるであろう人件費分として繰り越しているという意味があるのだ。事実として事業年数が長く、人件費率の高い事業者は、事業年数が短かった頃の繰越金を取り崩して職員の定期昇給分等を確保しているのである。つまり繰越金は実際に職員給与支出に使われているのだ。そういう意味では、一施設平均額など意味がなく、実はその差は事業経営年数で差があるし、それは必要なことなのだという理解が必要である。

そもそも介護給付費は2ケ月遅れで支払われる(例えば12月分の給付費は1月に請求し、実際に支払われるのは2月になるという意味)のだから、この間の2月の運営資金は繰越金から充当せねばならず、その額は100人定員の施設では約6.000万円程度は必要だろう。つまり現在内部留保と批判される総額には、この運転資金も含まれており、実際に運営に使わなくてもよい内部留保などもっと少なくなるのである。

 もちろん、これもまたひとりの経営者による主張であり、全ての施設の事情を代表できている保証はない(歴史的・制度的事実はともかく)。だからこそ「老施協は反論しろ」なのであろう。それでも「何もわかっていない教授に、現場の経営を脅かされる主張をされた。急いで反論せねば。」という現場の危機感は十分に伝わる。自分が早々と記事を書いたのも、そのような危機意識を(他分野の従業者ながら)抱いたからであった。

 すっかり「御用学者」扱いをされた教授に反論はあるのだろうか。しばしば現場の声は黙殺される。黙殺するよりはムキになって反論してくださるほうが貴重な議論を生み出す、はずである。全体にもっと詳細なデータの開示と分析は必要だろう。シンプルな「平均値」だけを見ての推論では話にならない。

 こんなやりとりがネットでできて、多くのオーディエンスに見てもらいうる、というのは価値あること。しかし、より重要なのは現実の政策決定への影響であるわけで。国会議員とかが「2兆」におかしな反応しないとよいけれど。

(追記)
dojinさんが、鈴木教授とmasaさんの主張について書かれました。すっきりと冷静にまとめられています。さすがです。
社会福祉法人内部留保論争メモ(鈴木亘氏VS菊地雅洋氏)
http://d.hatena.ne.jp/dojin/20111213/p1