泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

クロ現「向精神薬を飲む子ども」を見た

 ツイッターにも少しだけ書いたけれど、話題の「クローズアップ現代」について。いま我が家には録画できるものが何も無いので、早く帰宅して見た。
 たぶん観る者の立場によって、評価が分かれるのだろうと思う。自分の立場からすると、いくつか引っかかる点はあるものの、穏当な内容であるように思えた。冒頭から、司会の国谷氏が「すべての服薬を否定するものではない」ことを強調してはじまったし、終盤になってもそのような発言を折に触れて挿し込んでいた。
 もともと番組サイトによれば、ゲストは石川憲彦氏だけの予定だったのである。それが前日になってNHKの記者も同席することになった。確信はないが「石川氏だけだと、スタジオ部分が自説の独演会になりかねない」という懸念があったのではないか。
 途中で国谷氏が「いつから子どもへの向精神薬の投与は増えているのか」という質問をして、石川氏がひとこと「10年ぐらい前から」と答える場面があったのだが、国谷氏はそれ以上踏み込まなかった。時間の制約もあったのかもしれない。ただ、自分には「あえて踏みとどまった」ように見えた。もし「なぜ10年前からなのか」とさらに聞けば、石川氏は「特別支援教育がはじまったから」と飛躍するのではないかと自分は想像していたので、この判断は賢明だったと思う。
 学校でみんなといっしょに授業を受けられないから医療機関を紹介されて服薬、という流れは、単に「昔ならば『元気な子』で済まされていた子が、今は『発達障害児』にされる」というような石川氏流の解釈で片づけられる問題ではない。幼児期から子どもの特性をどのぐらい丁寧に周囲が理解して、十分な対応策を講じられてきたのかが、問われるものである。環境を調整することもあれば、番組中で言われていたような感覚処理の問題にアプローチすることもあるだろう。そうした努力をしないままに安易に薬に頼ろうとする教師や医師の判断は責められなければならない。
 しかし、それらの努力を精一杯してもうまくいかないようなケースがあり、医師の目から薬が有効であると思われた場合に、「適切な投薬・服薬」のみが行われ、「不適切な投薬・服薬」が避けられるための基準や仕組みとはいかなるものであるのか、が最終的には最も深く議論されなければならないテーマとなる。
 これらの一連の課題をクリアするには、幼児期からの母子保健や療育システムの問題、就学先の決定の問題、児童精神科医の数の問題、診療時間の問題、薬の認可の問題、教育と精神医療の連携の問題など、多角的な検討が必要となる。30分という時間はあまりに短い。
 「望ましい投薬・服薬(とそれを支える仕組み)とは?」という切り口で、もっと踏み込んだ番組が作られることに期待。本当に良質な番組は、一生懸命やっているすべての人の努力に報いてくれる、はず。