泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

社会福祉学の反省

高沢武司(1970)「社会事業における『実践』の問題とその理論的基盤 ―社会事業理論をめぐる状況についてのノート―」『社会福祉研究』6、28-34。

「実践」に値いする実践が研究者にはみえないところで展開され、創造され、逆に啓蒙的に「実践」が研究者によって空疎に語られていることほど不幸なことはない。(31ページ)

いままで演出された論争は、大部分、研究者と研究者の間での檜舞台でおこなわれ、そして「社会科学の一部門に属する学問体系」になり、「政策学」になってしまっている。私にいわせれば、論争の相手は、理論の世界で敵対する相手よりも、現場の実践家として自己の影響下にあり、自己の理論創造の源泉となっているすぐれた実践家に見出し、かれを徹底的に批判すべきであろうと思う。それは、必ず、大きなはねかえりに逢うことになろう。しかし、これは理論が錬えられるためには欠かせない筋道なのではないだろうか。(34ページ)

逆説的であるが、現場の実践家の大部分が理論と研究者に対して、「黙殺暴力」を行使してきたのではないか、ということを指摘したい。「非啓蒙者」から自己を解放しない限り、「啓蒙者」のその地位は安泰なのである。そして、理論はますます自己展開してしまうのである。(34ページ)

さすがに「政策学」ではなくなったけれど、あとは40年前と同じことを言ってもほとんど通用する。