泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

小さな世界から考えてみたら

 障害をもつ子どもたちの長期休暇を支えるプログラムがある。長期休暇中に複数日の活動日程がある。
 毎年、参加する子どもたちが増えていく。主催者は、誰ひとり断ることなく受け入れ続けてきた。子どものきょうだいも参加させてほしいという声があがり、それもまた大事なことだろうと全て受け入れてきた。
 大規模化がどんどん進む。ボランティアは順調に集まっているが、それでも子どもの増加ペースが速すぎて、追いつかない。さらに、大人数が活動できる場所を確保するのも難しくなった。予算も不足してきた。公的な補助は半分ぐらいで、あとは参加費などの自己資金である。
 運営の継続が難しくなり、主催者はまず補助の増額を求めて、行政に実績報告をあげる。補助額は昔から変わっていない。5年で子どももスタッフも倍以上に増えたのだから、実績に応じて金額を上げてほしいとデータを示してみたが、財政難の中で次年度もおそらく増額は難しいだろうと言われてしまう。
 仮に予算が増やせたとしても、大規模化に運営体制がついていかないという問題は変わらない。そこで主催者は、参加人数を少し減らさざるをえないと考えた。だが、どうやって?
 一部の親は、障害をもつ子どものプログラムなのだから、きょうだいの参加をやめさせればいいと言う。しかし、きょうだいの参加を断っても、まだ少し子どもの数は多い。さらに、それを主張するのはきょうだいがいない子どもの親ばかりだ。「人数が多くなってきたから、あなたは参加できない」と、障害をもつ子どもの横で言われるとしたら、そのきょうだいはどんな心情になるだろうか。主催者は、その案を拒否した。
 まず、参加の定員を定めて、それを超える人数の申込があった場合に、参加回数が多いか、参加割合の高い子どもを削ろうと考えた。だが、子どもが強く望む活動というのがあるだろう。子どもを特に参加させたいと親が思う活動もあるだろう。ただ回数が多いという理由だけで、何の考慮もなく参加を拒むのはしたくない。
 では、参加希望日に優先順位をつけて申し込んでもらったらどうか。参加回数が多くても、優先順位が高い日は削らないようにするのだ。しかし、それをすると、順位のつけ方と申込み人数の兼ね合い次第で、全体の参加回数が相対的に少ないのに削られてしまう子どもが出てくる。それは直感的におかしい。
 参加回数が少ない子どもは、もともと楽しめるプログラムが限られているタイプの子どもだ。知的障害や発達障害をもつ子どもの中には、そのような子がたくさんいる。何でも楽しめる子どもよりも、1回の参加機会に重みがあるように思える。だから、参加回数が一定回数以下のところは削られないようにしたらどうか。
 詳細は省くが、こんなふうに悩みながら、複雑なルールができあがり、実行に移した。
申込みを受け付けると、きょうだいの参加を遠慮させるところが出てきた。親の意向である。わが子(きょうだい)が参加することで、他の障害をもつ子どもが参加できなくなるのは忍びない、と。
親が働いているところは別の公的サービスを使える。そのため、「他の子どもの参加機会を奪いたくないので、参加させない」と言って、申込みをしてこないところと、全部申し込んで削られたら公的サービスを使うところの両方に分かれた。
 すべての子どもにとって参加しやすいようなプログラムには、優先順位1位の参加申込みが集中した。うまいぐらいに参加回数の多いところを削るのみで済んだが、あと少し1位での申込が多かったら、どうしたらいいのか、わからなくなっていただろう。

 田舎の小さな法人で生じている事例であり、瑣末なことに思われるかもしれない。しかし、ここには「障害」をめぐる分配や平等をめぐる論点が数多く詰まっている。理論的とされる話がまったく絵空事ではなく、現実としてある。この事例にあなたならば、何を考え、どう対処するだろうか(あるいは、どう対処「すべき」と考えるだろうか)?