泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

「差別」と「いじめ」が重なるマンガだった

 あるマンガがなんだか話題になっていたので、週刊少年マガジンを買った。マンガ雑誌を買ったのは、たぶん15年ぶりぐらいだ。全部で480ページぐらいあるのに260円という価格に少し驚くぐらいのごぶさた。

今週のマガジンの読み切り『聲の形』がとにかくすごい作品だった
http://blog.livedoor.jp/goldennews/archives/51766845.html

 4月、小学校にひとりの女の子(西宮硝子)が転入してくる。担任の教師から自己紹介を促された彼女は、無言のまま一冊のノートを取り出して、クラスメイトたちに見えるようにページをめくっていく。ノートにはこう書かれている。
「はじめまして。西宮硝子といいます。」
「わたしは皆さんとこのノートを通して仲良くなりたいと思っています。」
「どうかわたしと話すときはこのノートにおねがいします。」
「耳が聞こえません。」
 西宮は、困ったことがあるとクラスメイトにノートを通じて問いかける。少し申し訳なさそうに微笑みながら。当初は周囲も戸惑いながら対応していたが、頻繁に筆談を求められ、授業の進行を止めてしまう彼女への不満は次第に強まっていく。
 そして、夏の合唱コンクール。担任は、うまく歌えない西宮をメンバーから外そうとする。それに反発した「きこえの教室」の教師は「私たちが決めちゃいけない」と言い、ノートを通じて尋ねた。「歌いたい? 歌いたくない?」と。西宮の答えは「うたえるようになりたい」。彼女と廊下を歩きながら、担任はつぶやく。「ったく 誰だよ こんな荷物寄こしたの…」。
 彼女も参加した合唱コンクールで入賞を逃したことで、クラスメイトからのいじめがはじまる。教室の黒板には中傷の言葉が大書され、補聴器を頻繁に奪われては壊され、行動のひとつひとつを嘲笑され、ノートは池に投げ込まれる。彼女は笑わなくなっていった。
 保護者からいじめを疑われた学校は、校長がクラスに赴き、警察が介入する可能性まで示して、心当たりがある者に名乗りださせようとする。これまで目立つ形で彼女をいじめてきた石田という生徒がいた。担任や他のクラスメイトたちは、すべてのいじめの責任を彼ひとりに背負わせようとする。石田は担任も含めたみんながいじめていたことを主張するが、そんなことをするはずがないとウソ泣きする生徒まで現れて、耳を傾けられることはない。スケープゴートにされたのだ。
 そこから、今度は裏切り者とされた石田へのいじめがはじまる。無視、陰口、イタズラ。自分の上靴をゴミ箱に捨てようとしている現場を押さえた石田は、2対1で殴り倒されながら考える。「最近よく考えるのは 西宮のこと あいつが俺にこんなことされてる時 あいつは何を思っていたかだ」。
 石田にとってよくわからない存在だった西宮は、わずかなヒントを残しながら、よくわからない存在のまま転校していく。彼女の言葉にできない思いを彼が理解できたのは、転校した翌日の出来事だった。そして、月日は流れて…。
 以上が、いくつかポイントを外して書いた概略である。
 たぶん「障害児」関係者が読むと、より厳しい現実もたくさん知っているだけに、いろいろと言いたいことは出てくるだろう。西宮が終盤までいかにも「健気な良い子」として描かれているのも気にかかる(「こんなにいい子なのに」いじめるのはひどい、という感想を招きかねないので。「障害者」へのいじめや差別を批判するとき、マジョリティにとって受け入れられやすい障害者像を描くことには危うさが伴う)。
 しかし、西宮と石田の立場が重ねられていく物語を通じて学べるものは「障害」関係者にも多いと思う。「差別」はカテゴライズが伴われる点に特徴があるので、一般的な「いじめ」とは区別されやすいが、全体主義的な圧力に屈しないことに対する報復という意味では同じ構造をもつ場面がある。だから「障害児」を包摂できる環境を作るために必要なのは「特別支援教育」という配慮や工夫ではなく「教育そのもの」の変容でなければならないのだ。言い換えれば「いじめを無くす努力」は「インクルーシブな教育」とも深く結びつくものである。当然と言えば当然だが「障害児にとってやさしい学校」だけを目標にしても成功しない。
 そして、「少年誌」に61ページも使って、このような内容のマンガが載るということにも意義があるだろうと思う(ただし、この雑誌の読者層が主に何歳ぐらいなのかはよく知らない)。なじみのない人たちにとってはきっと「重い」印象を抱くのであろうストーリーも、絵のタッチの軽快さが少しやわらげてもくれているし、物語自体も希望のある終わり方をしている(それを好むかどうかは評価が分かれるだろうが)。
 全日本ろうあ連盟に監修されていて、ところどころにそれを感じさせるリアリティもある(※追記:出版社によると、監修は受けたが修正はまったく入らなかったらしい)。「きこえの教室」なんて、その存在を多くの読者は知らなかっただろうし。巻末に載っている作者(大今良時さん)のコメントは「制作にあたりご協力くださった方々、ありがとうございました」。
 作者が23歳で、どうやらこれは19歳のときに新人漫画賞に入選した作品のリメイクらしいと知り、個人的には「いったいどのような動機づけをもって、この設定を選んだのだろう」というところに一番興味があるが、それを知る機会はたぶんないだろう。もし何らかの思い入れがあるテーマであるならば、応援するので、また何か描いてほしい、と思う。あ、読者アンケートを出せばいいのか。