泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

「ボーダー児」と親の孤独を描いたマンガを読んで

 偶然に書店で見つけた沖田×華の新作。ノンフィクションコミックエッセイ。原作者である君影草さんが、本作に登場する子どもの母親である。ちなみに、原作は『はざまのセイカツ』というタイトルで、ウェブ上に公開されているマンガ。メジャーなマンガ家が描き直す「ワンパンマン方式」とでも言おうか。
 障害児の子育てについて親の目線で描いたマンガはこれまでにもいくつかあったと思うが、いわゆる「ボーダー」の子ども(と親)の苦難を描いたものは読んだことがなかった。医学的な診断としては「障害」とみなされないが、学校生活や社会生活上でうまくやっていけない人はたくさんいて、その人たちは境界線上にいるという意味でしばしば「ボーダー」などと呼ばれる。
 障害に限らず「どっちつかずである」という状態は、社会制度の隙間に落ちやすい。あらゆる支援の受給要件なんて「必要かどうか」で決めればよいはずなのに、標準化しようとして支援の必要度とは別の基準を設けた結果、「ひどく困っているとみんなわかっているのに、何も対応されない」という事態が生じる。制度的なネグレクトと呼んでもよいだろう。本作では、このネグレクト状態に母親がひとりで立ち向かっていく様子が描かれている。
 最も多くのページが割かれているのは中学への就学問題だった。普通学級での学習が難しいのに、IQが高いために療育手帳(東京都は「愛の手帳」)が取得できず、特別支援教育の対象として認めてもらえない。小学校からは手帳をとってくるように急かされるが、検査を受けても手帳は出ない(広汎性発達障害の診断は受けられている)。担任や管理職から転校を勧められたり、行ける中学校がないからと専修学校フリースクールを探したりする。このプロセスにほとんど「支援者」と呼べる者は出てこない。一方で、この種のストーリーにはおなじみの「クラス運営にとって邪魔な子どもを積極的に排除したがる、すがすがしいくらいのクズ教員」は出てくる。
 おそらく就学の仕組みや運用に地域差はあるのだろう。このマンガに描かれている状況は、かなり異様である。そもそも「手帳を持たなければ、特別支援学級や特別支援学校に行けない」なんてことはない。療育手帳に「知的障害」の有無を決めるような効力はなく(そもそも子どもに手帳をとらせたくないと考える保護者もたくさんいる)、知的な発達の遅れや偏りから普通学級での学習に困難があれば、特別支援教育は受けられる。が、少なくとも、原作者が経験したのは「手帳がなければ、中学では普通学級にいるしかなく、サポートも受けられない」というよくわからないルール運用だったようだ。こうしたローカルルールのようなものは本当におそろしく、保護者や教員個人が抗うのは難しい。
 中学校への特別支援学級進学にあたっては、中学校に「嘆願書」を出すことを教育委員会が保護者に助言している(そして、この嘆願は成功する)。これは「それぞれの学校が子どもの就学について教育委員会よりも権限をもっている」ということを意味する。そんなバカな話があろうか。各中学校が支援学級での受け入れ(や普通学級でのサポート)を拒否したら、実質的にどこにも通えず、教育委員会も親といっしょに残念がって終わりなのだろうか。教育行政としての存在価値を自ら放棄している。
 障害者差別解消法も施行されていくし、ここで描かれているような事態はおそらく解消されやすくなると信じたいのだが、自分の立場から気になるのは「これほど苦しんでいるプロセスを併走する支援者が誰も出てこない」ことだ。地域の学校で必要な支援を受けながら学んでいくことが当たり前である、という価値観が教育制度に組み込まれていっても、それを実現するために学校が動こうとしないときに、親はたったひとりで強大な学校組織、教育委員会に立ち向かっていかねばならない。
 相手が「障害福祉サービス」であれば、ひどい事業所があれば、契約解除してもよいし、相談支援事業所や福祉行政にタレこんでもいいし、都道府県社協にある運営適正化委員会に苦情を入れてもよい。社会資源の少ない中だと支援者の優位性は揺らがないかもしれないが、苦境から抜け出すための選択肢はいくつかあると言える。
 しかし、子どもを通わせている学校とのあいだで親が行き詰ったときの仕組みは何もない。この深刻さに教育制度(福祉制度でもよいけど)がどう取り組んでいくのか、が問われている(「障害」「ボーダー」に限らず、「不登校」「いじめ」などについても同様の指摘はできるだろう)。「スクールソーシャルワーカー」に期待したい気もするが、今の配置状況や身分を考えると、まだまだ現状は厳しい。学校の中に所属しながら、どこまでの動きができるか、という課題も残る。
 「ボーダー」の子どもは成長とともに、また違った問題が生じてくるだろう。ここで描かれたのは中学校までだ。あとがきによれば「今回のマンガの続きはこの本が売れたらまた沖田さんが描いてくれるとのこと」らしい。「ボーダー」で悩む人たちや学校との関係で苦しむ人たちの共感を呼び、続編が出版されることにも期待したい。