泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

少年誌のマンガでこの文学性

 昨年2月に週刊少年マガジンの読み切りで話題になったマンガ『聲の形』が、反響の大きさから連載化。読み切りについては、かつて記事で書いた
 読み切りからどう連載へと広げていくのだろうかと思っていたが、単行本の第一巻では、読み切りで描かれていた内容に違う角度からも光を当てていき、読み切りでは「なぜか?」と考える余地を膨大に残していた物語に少しずつヒントを与えようとしていた。
 そして、第2巻発売。物語は進み、いよいよ物語は(読み切りの結末時点から見れば)「その後」へと踏み出していく。

聲の形(2) (講談社コミックス)

聲の形(2) (講談社コミックス)

 いま読み終えて、どう形容してよいか悩んでいる。思いついた表現が「文学的」だった。登場人物のひとりひとりの生い立ちや言葉、相互の関係性の変化が表現しようとしているものが深く、読み手としてそのつど解釈を迫られる気がする。そして、その解釈が正しいのかどうか、確信が抱けないまま、さらなる展開を待たされることになる。
 読み切りのときは、障害をもつヒロインが健常者にとって都合よく描かれ過ぎているなんて批判もあったが、今やその批判がすっかり的外れになるくらいに伏線が投入されていて、主題も「差別」のような限定的なものからすっかり飛躍して、拡張されている。少年誌の読者層でどこまで読み取れるのだろう…。
 第1巻の表紙は小学生のふたりが教室で並んでいて、物語の中で重要なアイテムである「ノート」を西宮が持っていた。2巻の表紙は高校生のふたりが橋を渡り始めたあたりに立っていて、ノートを石田が持っている。ふたりの間には少し後ろにある棒状の車止めが見え、西宮の立つ側には点字ブロックがずっと後方から伸びてきている。2巻の読了後だと、この絵のもつ意味を考えさせられる。いろいろ象徴的だ。
 これを週刊で連載というのは、本当にタフな仕事だと思う。著者はどこまで終着点を見据えて描いておられるのだろうか。第3巻は、3月半ばに発売。
聲の形(1) (講談社コミックス)

聲の形(1) (講談社コミックス)