泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

診断名か特性列挙か

 就学前の子どもに「療育」をしている。そこでの「診断名」へのこだわりに違いが見られる。
 ベテラン心理士が、医療機関で診断→療育の流れを強く推奨する。他の若いスタッフはそうでもない。自分も診断を療育の前提にする必要はないという立場。
 心理士の考えを聞いていくと「診断名がついていたほうが親が学びやすい」という認識をもっている。自分としては「自閉症」という診断名がなくても、その子の発達の特性について個別に列挙された内容をひとつひとつ理解していけば、最後にたどりつくゴールは同じであるはずと思うし、従来からそのような主張はしている。
 しかし、それがゴールへの(時間的な)最短ルートなのか、と言えば、確かに厳しい。長年にわたって比較的「重い」障害の学齢児(と保護者)に関わってきた心理士にとってみれば、「発達障害」について、就学前の限られた時間の中で保護者に伝えなければならないことの焦りやもどかしさもあるのだろう。診断名によって教科書的な「特性」が全て自分の子にあてはまるかのような誤解をしてしまうことも、支援者としての適切な関わりによって避けられるという自負もあるのだろう。
 良心的に「診断」を重視する人々は、自身による理解のために「診断」を必要としていない。他者に伝えるために必要としている。ここから「診断名がなければ伝わらない(伝えるのに時間がかかる)のはなぜか」と問うことも可能だ。そして、自分が学生時代、はじめて子どもたちと関わった頃を思い返す。診断名なんてほとんどわかっておらず、「その子を理解する」という姿勢で向き合った結果は、親にとって子どもにとって、どうだったのか。
 悩ましい。今日はひとまず卒園児の保護者会活動が発足したことを喜んで、寝よう。