泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

「福祉」が「福祉」の邪魔をする(1)

 次年度からの療育に向けて、受け入れる子どもの基準を関係者で再考。
 受け入れ幅を少し広げていく方向性を決めた。発達指数で言えば「下」に。
 法人スタッフはもちろん、外部の関係者も「本当にこれでいいのだろうか」と思っている。自分も思っている。
 何度か書いてきただろうが、うちは数年にわたって「委託事業」として発達に課題のある子どもたちの「療育」をしてきた。地元に古くからある療育機関は比較的「障害」が重い子どもから受け入れていく。それで定員はいっぱいになってしまい、発達指数は「高い」けれども生活にさまざまな困難さを抱えるような子どもたちは療育に通えない。
 だから、他では受け入れてもらえないような子どもたち(と家族)を支援しようと療育機関を作り、雇用対策なども活用しながらまずは自治体からの事業委託としてスタートしたわけである。順調に進んでいた。「委託」の間は。
 委託期間が終わり、国事業に移行したと同時に新規の利用が伸びなくなった。原因ははっきりしている。「障害児通所支援」の「受給者証」のせいである。
 設置当初から、あまり「障害」という言葉を強調することもなく、じっくりと保護者との信頼関係を作り、子どもの特性理解を促してこられた。当初、「ここに本当に来なければいけないのだろうか」と訝しげだった保護者も、子どもの様子を見て、スタッフの話を聞くうちに、「療育」の意義を感じるようになっていった。卒園するころには「どうやったら就学後も通えるのか」という声があがるぐらいにもなった(まだ学齢児の受入はできていない)。
 ところが、この4月になり、子どもの保護者は「障害児通所支援」の利用申請をして「受給者証」を受けなければ、うちに通えなくなった。事前からわかっていたこと、ではない。法改正があり、療育は「障害者自立支援法」でなく「児童福祉法」に根拠法を移した。制度名も「児童発達支援」となった。「障害」という言葉に抵抗感の強い子どもの保護者にとっては、より通いやすくなるような条件が整えられていくのだろうと思っていた。
 ところがフタをあけてみれば、書面上では「障害児通所支援」の名称が前面に出され、申請と支給決定のプロセスにおいて「わが子を『障害児』として認めないところは、療育なんか使わせないぞ」とメッセージが色濃く表れる制度になった。近年よく使われる「発達凸凹」なんて言葉もどこ吹く風。ただ必要な支援を必要な子どもが受けられる仕組みにはほど遠く、親は「療育に行くようになったら、うちの子は『障害児』にされてしまう」と拒否するようになった。子どもがどれだけ困っていようとも、親が拒否すれば療育の利用はない。
 国も地方自治体も本気で多様な特性をもつ子どもたちが早くから支援を受けられるようにしていきたいならば、「障害児通所支援」なんて名称はやめにしたらよいし、障害福祉サービスと同じ枠組みの中で「療育」を規定することなんてやめたらよいのである。「障害児」と規定しなければ、利用者が無制限に拡大していくとでも思っているのだろうか。利用に際して、事業所以外の者によるアセスメントや利用計画の作成が必要な仕組みを作りながら、利用申請を未然に抑制するかのように親を追い払っていくのは、何ひとつ信頼できていないということでもある。
 親の心情に対して何の配慮もない現状のままであるならば、たとえ「発達障害」を障害福祉に含んでいくなんて方向性を施策として目指したところで、二次障害が出るぐらいまで大変な状況になってから事後的に対応するぐらいのことしかできないだろう。この言葉はあまり好きではないけれど「早期発見、早期介入」が大事なのではなかったのか?