泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

愚痴

 行動援護の該当者がひとり減った。
 その認定調査を担当した調査員が「なぜ・・・?」と不思議がる判定。本人の様子なんて何も変わっていないのに。3年前に移動支援との併給にしてくれないとヘルパーが制限されすぎると訴えたこちらの意見は一蹴され、行動援護にされた。それから3年。常勤職員しか資格要件を満たせない(そもそも他のヘルパーには支援内容的にも任せにくい)中で、支援体制を組み立ててきて、いきなりこの仕打ち。
 また、毎度お馴染みのくだらなくて醜い金の話をしよう。行動援護が移動支援になると、一気に半額以下だ。このケースならば、月あたりで3万とか収入が減るわけだ。
 たかが3万と笑いたくば笑え。この地域の移動支援で加算などついて15時間分(比較的恵まれたほうだろう)と計算しても、放課後の子どもを15時間支援するには、何件のサービス利用が必要か。
 子どもが事業所内で過ごす日中一時支援なんて、この地域の時間単価から時給を引いたら、100円ぐらいしか残らない。それではやっていけないから、協力金を勝手に設定して受け取っているが、それを加えたって1000円にも遠く及ばない。それで3万円ぶん補おうとしたら、いったい何日何時間何人の子どもを支援しなければならないか(もちろん、それを補うために支援を増やそう、なんて本末転倒はありえないことも申し添えておく)。
 自治体はそんなことなど考えてくれない。そして、ある事業のために提出した書類は、運営協議会を仲の悪い近隣の自治体といっしょに開きたくない、という理由で、春からずっとほったらかし。
「制度」の社会的な機能が人びとに互いの見通しを共有させるものであるとしたら、障害福祉にはまともな「制度」なんて未だに存在していない。それは自治体の局地的な事情や職員の私情によっていくらでも変化する幻影だ。今日の姿は明日の姿と違う。
 気がおさまらなかったので、書いた。次回は「総括」の(5)を書く、つもり。なかなかペースが上がらずに、申し訳ない。まあ、アクセス数にも変化ないし、誰が読んでいるのやら、という感じだけれど。障害福祉関係者はみんなこれまでのことをどう考えて、これからどうしていきたいと思っているのか。これほどインターネットで情報発信が容易にできる社会だというのに、全然見えない。それにも暗い気持ちになる。