泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

[近況]「児童」の「ノーマル」な暮らし

 昨日の一件でふさぎこんでいたところへ、都道府県から連絡。自分の制度に対する無知から来た重大なミスがわかる。納得できないことは多いが、制度は制度。また、たくさんの人に迷惑をかけることになりそうで、いっそう落ち込む。カゼもひいてしまったし、すべてにおいて下降線。ノドの痛みで夜中に目が覚める。
 話は変わるが、通学への移動支援利用の緊急依頼が少し前にあった。制度に乗ろうが乗るまいが必要なものは必要とひとまず実施したものの、事後的に確認したところ、やはり自治体は移動支援として認めてくれそうにない。緊急と言っても、誰かの急病とか冠婚葬祭とかではないし、利用者自らが選んだ生活プランの見通しの甘さから来ているとも言える。さらに、この生活が今後もずっと続くこともわかっている。これを認めれば、ずるずると利用日数は増えていくだろうし、他の家からも利用希望殺到となる可能性が高い。今回は自治体の判断にもうなずける。
 うちの独自サービス対応になるか、他のサービスを利用する形になるかはこれから決まる。独自サービスは支払額が高くなるので、利用を控えられるように生活の仕方を変える形で決着するかもしれない。それで過度なサービスへの依存が防がれるという見方もできる。しかし、中学生の通学に毎日必ず家族の誰かが付き添わなければいけないことは、やはりノーマルではない(むろん親が毎日送り迎えをする中高生も世の中にはたくさんいるだろうが、それは選択されたものだ)。
 「児童」へのサービス提供の妥当性が、就学前から18歳まで同じ基準ということは、もっと論点化してよいのではないか。一時預かり系のサービスだって5歳から18歳まで同じ場所で同じ過ごし方というのは無理がある。自分はつい学童保育所と比較してしまうので、特殊に思えて仕方がない。しかし、その学童さえも異年齢集団という点で言えば、特殊なのだ。子どものノーマルな生活を規範的に示すというのはなかなか難しい。