泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

[近況]明るい話を書こうとしても、気がつけば泣き言

 朝からガイド。昼食を買って事務所に戻るものの、食べるヒマなし。コンビニで栄養ゼリーをまさに10秒チャージして、学童。たくさんの子どもの遊び相手をする。学童の指導員はあまり遊び相手になろうとしないので、みんな加配のもとに集まってくる。ここでうまい具合に加配としての役割と学童指導員としての役割を両立させるのが腕の見せ所である。それは簡単でないが。
 穴が開きかけていた土曜日の学童のスタッフが見つかったので、昨夜打ち合わせをして今日引継ぎ。子どもと過ごす様子を見る限り、心配なさそう。これで土曜日に自分が毎週のように学童に入らなければならない事態から離れられる。ひと安心。
 最近は、近くの学童に通う子どもとその友達が「あの建物(法人事務所)にlessorがいる」ということに気づいたため、ときどき事務所の窓から顔を出すようになり、ちょっと楽しい。先日は事務所の中に入ってきて、祭の出店準備作業に協力してくれていた(たぶん本人たちは協力したとは思ってない)。ああ、学童の加配の事業をやっていてよかった。まあ、子どもにしてみると「障害児加配」という意味はよくわかっていないし、法人でやっている仕事の内容も全然わかっていないのだけれど、わかっていないのに「なんかおもしろそう」だけで事務所に上がりこんでこられる子どもの好奇心や行動力というのはすごい。
 夜、学生スタッフの研修担当が、子どもについての資料をまとめているのを横目に金勘定。残念なことに、移動支援は結局15%程度の減収になりそう。全国的にも例をみないはずの不思議な仕組みになったため、行動障害が重度の子どもほど報酬が低いという異常事態になっている(かいつまんで説明すれば、行動援護に入らない利用者の支援の必要度はすべて「身体的な介護の必要性」だけで判断する、という仕組み。ちなみに児童の行動援護決定はゼロ。)。一部の利用者はたぶん支払いの際に不思議がるだろう。なんでこんなに自己負担が安くなったのかと。
 市町村事業と言いながら、近隣の市町村ですべて横並びにしようと自治体は必死なため、自治体の単費事業としてやってきた学童も日中一時支援事業に統合される可能性がある。場所をそのままにして報酬単価も変えることなく日中一時支援事業化することもできるはずなのに、それは全く考えられていない。なぜなら「隣の自治体は学童での受け入れなんかやっていないから」。地域生活支援事業の誕生をきっかけに安上がりな日中一時支援にすべてを組み込もうとして、このあたりの市町村ごとの特性は失われつつある。自立支援法の制度上の意図とは全く逆方向だ。某所でやっていた児童デイも場所から内容まで無理やり変えられて日中一時支援に統合される可能性がある。隣の自治体担当者がほとんどのことを決めていることが次第に見えてきて、どんどん自分の動き方がわからなくなる。
 それでも法人を大きくするために、新卒学生をひとり4月から雇うつもり(すぐれた支援者なので、どうしても雇いたかったのだ)。このままいけば、まともに雇える状況ではなくなる。児童の支援中心の事業所が生き残る術は何か。児童中心ということ自体が責められるべきことなのか(あくまで「中心」であって、ほかの事もやっている。ただ他の事業所もあるので利用が伸びないだけの話)。今夜も金のことばかり考えている。
 このままつぶれたら、努力している事業所は報われるようになっている新制度の中でうまく運営できなかったから淘汰されるべくして淘汰された、と言われるのだろうか。そして、どこか他のすぐれた事業所がより良いサービスを提供すればよいのだ、と。利用者の多様化が進む中で、地元自治体の養護学校生25名のうちのサービス利用率は100%なのだけれど(障害児学級生は3割ぐらいか)。障害の種別や重さを理由にサービス提供を断ったこともないのだけれど。小さいとはいえ、ボランタリーなものも含めて、年間8000時間以上はケアをしているのだけれど(この数字が地域生活支援事業所としては決して大きなものではないことは承知している)。子育て支援も少しばかりやっているのだけれど。まだまだいろいろやらなきゃダメですか。いや、生き残るためなら、自分の考えつく限りの努力はしていくつもりだけれど、最近では実力主義的な言説ばかりが目について、どんどん自分に自信がなくなってきた。お前が無能だから運営がうまくいかないのだと言われ続けている気がする。
 明日は友人の施設のイベント手伝い。仕事じゃないが、仕事のような気がする。