[読書]就労支援とSW
ソーシャルワーク実践の相互変容関係過程の研究―知的障害者の就労支援における交互作用分析
- 作者: 村社卓
- 出版社/メーカー: 川島書店
- 発売日: 2005/03/01
- メディア: 単行本
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なんでそのような当たり前のことをいうのに、これほどまでの手間(長期にわたる参与観察)をかけてデータを処理するのか。その一方で、なぜたったひとつの授産施設からのデータ収集でしかないものを一般化できるのか。自分には全く理解ができない。著者の研究成果に基づき巻末に提示された「知的障害者授産施設における就労支援自己評価表」の評価項目におけるカテゴリーには「花を介しての自己実現」「花を前提とした関係」「実現しない退所要求」。授産施設の作業内容の多様性や入所/通所の区別について、ご存知ないわけではあるまい。そもそも「実態」として行われている様々なコミュニケーションをカテゴライズしたものを、そのまま「評価項目」のベースにすること自体ありえない。
著者にとってソーシャルワークとは何であるのかもよくわからない。知的障害をもつ人々が授産施設で働くことを支援するのがソーシャルワークだということであろうか。*1授産施設の職員はソーシャルワーカーで、日々の授産作業中のコミュニケーションも、利用者に合った仕事を準備することもソーシャルワークの一部分だろうか。だとすれば、一般企業で上司が部下に対してやっている仕事と何が違うだろうか。相手が「知的障害者」だから違うのか。だとすれば、ソーシャルワークとそうでないものを分かつ基準は相手の属性でしかないということになるのか。そんなことにはなるまい。序盤でエンパワメントを強調しているが、「知的障害があるから」エンパワメントすべきだというなら、その判断自体が彼ら彼女らの可能性を不当に軽くみている。著者の「視座」から考えると「援助者・利用者」と「関係者」との関係を重視したいのかと思いきや、それは他の関係と比べても特別な位置には置かれていない。
さらには、仮に授産施設での支援業務をソーシャルワークと認めたとしても、どういった状況をワーカーとして「望ましい」と価値判断したいのか、全く説明してくれない。一般就労への移行を目指している事例を扱っているわけでもない。多様であるはずの人々はすべて「利用者」とか「彼ら」という一言で括られ続けているので、著者が暗黙に前提している「たったひとつの目標」があるのかもしれない。それぞれ心身の状態には違いがあり、この施設内での目標も異なるだろうに。
言葉の使い方にもよくわからないところが多く、頻繁に使われる「文脈」という言葉については、最後まで意味がわからない。「就労支援サービスにおいて、援助者と関係者の関係にみられる文脈は自立生活意識の自覚化として理解された」って、日本語になっているのだろうか。グラウンデッドセオリーをするなら、概念の使い方にはもっと敏感になってもらわないと困る。
とにかく読んでいて苛立つばかり。この1週間ぐらい、ずっとカリカリしているような気がする。さっきからノドも痛んできた。明日は少しゆっくり寝ていられるので、少し頭も体もクールダウンさせよう。