泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

未来に向けての総括(7)

 前回の続き。支援費と自立支援法をひっくるめて振り返ってきたが、今日は自立支援法中心で。
 自立支援法のポイントとしてアピールされていたのは、5点だった。「三障害一元化」「利用者の利便性向上(施設体系の再編整備)」「就労支援の強化」「支給決定プロセスの明確化」「安定的な財源確保」。ひとつずつ見ていく。
 三障害一元化。発想が間違っていたとは思わない。ひとつの社会資源がさまざまな障害の人に活用できる場合はもちろんあるだろう。ただ、現実に三障害に対応できる支援者は数少ない。ほとんどの事業所は「身体」「知的」「精神」の枠組みを出ることなく、支援を続けているままだ。
 当事者団体も研究者も事業所も縦割り。そりゃそうだ、と思う。それぞれの事業所に得意分野とか思い入れというのがあるのだから。たまたま同じように「障害」という言葉をつけられたがゆえにひとつのカテゴリーにくくられているに過ぎない。いっそ「生きていくのに支援が必要な人びとならば誰でも支援します」ならばすっきりするけれども(実際そのような組織はいくつかある)、この3障害をひとまとめにした「障害者」だけ支援しようと思う動機づけがどのようにありうるだろうか。結果として、サービスを三障害一元的に提供する事業所を増やす効果はさほど無かったと思う。
 そして、一元化というと聞こえはよいが、障害ごとにニーズは少しずつ異なる。ホームヘルプひとつとっても支援内容にはずいぶん違いが出て、当然である。しかし、今のホームヘルプ制度なんて多様なニーズに応えられるものには全くなっていない。地方にもよるのだろうが、「身体介護」か「家事援助」か「支給せず」のいずれか。汎用性の低いサービス内容のまま一元化したところで、使い勝手は悪いままだ。
 そして、運営モデルの違いから「重度訪問介護」と「行動援護」のような一元化されないサービス類型も並存することになった。今後も一元化路線を続けようとするならば、先述したような事業所の縦割り構造が簡単には変わらないことも踏まえたシミュレーションをしなければ、結局のところ誰かが得をして、誰かが損をすることになるだろう。それは現在の政治的な力関係の中で決まりかねないと思う。
 利用者の利便性向上、施設体系の再編整備はどうか。学生のころから、通所更正とか通所授産とか様々な施設名とその中で行われていることを見ながら「何が違うのか」と思い続けていたので、その点ではすっきりした。では、使う側にとってはどうか。既に何らかのサービスを使っていた人にとってみれば、あまり違いは感じられていないだろうと思う。「○○作業所」とかいう個別の名称は変わらないのだし。その中で生活介護だとか就労継続Bだとか言われても、「作業の内容は変わらないんでしょ」と。施設関係のことはあまり詳しくないので、これ以上に深く踏み込むのはやめておく。
「就労支援の強化」についても詳しくないので、ほとんど触れられない。活性化したというムードは感じている。ただ、つい数日前にも某保護者から「通所先が『一般的な労働者を雇うより安いからどうぞ使って』と企業に利用者を売り込んでいる」というエピソードを聞いた、ということだけ申し添えておく。少し前に企業の生産ライン請負のニュースについて書いて、ずいぶんたくさんの人に読みに来ていただいたが、そのときの事例はともかく、やはり「安上がり労働者」化する恐れは現実に存在しているようだ。
 支給決定プロセスの明確化はどうか。障害程度区分の不安定さについては今さら言うまでもない感じになっている。一次判定は低く、それを補おうと審査会で2段階上がるとか当たり前。支援者から見て何も変化が感じられないのに、新たな判定のたびに上がったり下がったり。先日は、某法人関係者からたった一人の利用者の原因不明の程度区分降下で年間200万ほどの減収なんて話を聞いた。うちの法人なら職員のクビがとぶじゃないか! ぞっとする。
 その逆に、保護者の説明の仕方ひとつで程度区分6、なんてのもざら。程度区分6の人が休日にひとりで公共交通機関を使って外出して、外食を楽しんでいることさえある。これは行動援護の判定の不可解さも同様。外出先でヘルパーと別れて、ひとりで電車とバスを使って帰る人が該当したかと思えば、通所先さえ確保できないぐらいの難しい人が非該当になったり。
 プロセスの明確化というが、本当に「プロセスを明確化しただけ」である。認定調査や審査会の議論の中身はちっとも明確でない。「じゃあ、どうするのか」という難しさはもちろんある。障害程度と関係なしに報酬が決まったりするのも現行のシステムの中ならあまり望ましくないだろう(システム全体を抜本的に改変するならば、話は別だけど)。
 それにしても、通所施設からの期待を受けてわが子の障害が「重く」なるように訴える保護者や、「『重くなりすぎる』と行動援護該当になって関わってもらえる支援者が限定されてしまうからいい具合に調整しなければ」と考える保護者などの様子を見ていると、この方法で判定の客観性なんて保ちようがないだろうと思う。
 5番目の財源確保問題については、また次回。市町村事業ばかりやっている自分の立場から書けることは限られているけれど。