泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

タイトルが素晴らしかったので

社会福祉学は「知的障害者」に向き合えたか

社会福祉学は「知的障害者」に向き合えたか

 一気に読み終えられるかと思ったが、ずいぶん時間がかかった。
 貴重な本であることは間違いない(特に書き下ろし部分)。知的障害者福祉論の学説史をまとめようとする人はあまりいないだろうし、これまで見たこともない。知的障害者福祉研究ひとすじでやってこられた著者らしい仕事である。先行研究についてレビューするときの手がかりが得やすくなったという点で、これからの研究者の仕事に寄与するところは大きい。
 ただ、この内容を評価するのはなかなか難しい。「発見」の多い本かと言えば、そうは言えない。そして、良くも悪くも「社会福祉学」的なまとめられ方をしている。良く言えば多角的だが、悪く言えば議論の焦点が定まりきらないままに次々と論点を変えていく。抽象的な言葉(特に気になったのは頻繁に用いられる「要素」とか「規定」)の使い方にも意味のはっきりしないものが多く、社会学者や障害学者が読めば、読みにくさを感じるのではないか。自分が読み終えるのに時間がかかったのもそのためである。
 また、社会福祉学としてのアイデンティティを「生活」という汎用性の高いものに求めることと、「知的障害」ゆえに求められる支援を探求しようとすることの関係性が論じ切れていないようにも思う。ソーシャルワークおなじみの「個人と環境の相互作用」に着目して、生活の中で生じる「問題」を本人のインペアメントに帰責させないのは当然としても、そこから普遍的なソーシャルワーク理論の必要性へと飛躍してしまえば、そもそも「知的障害者福祉」というカテゴリーにこだわる意味も薄れてしまう。すると知的障害者福祉論としては、「知的障害」ゆえにどんな社会的相互作用が生じ、どんな支援が求められるか、という点を経験的に追究しなければならないだろう。後半に所収された諸論文を読めば、著者の研究は実質としてそのような期待に応えるものであるとわかるが、社会福祉学知的障害者福祉論の相互関係を理論的にはまだクリアにできていないのではないか。
 とはいえ、「知的障害」について考えるためのひとつの貴重な出発点である。この本で扱っているような研究対象を特定の観点から再構成する作業ができれば、もっと多くの成果が得られるはずだ。
 著者が数年前に某所での研修会に講師として来られていて、少しだけ質問などさせていただいたことがある。研究者らしいという印象は「いい意味で」持てなかった。その印象はこの本を読んでいっそう強まったと言えよう。