泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

行方不明

 子どもが家を抜け出していなくなったと連絡。今月2度目。成長の一段階と理解すれば頼もしいが、やはりあせる。
 すぐに「捜索のために人手確保を」と考えたが、体制が整わない。本人の行動パターンがよくわかっている者のほうが捜しやすいが、自分はサマースクールで他の子どもの支援中だし、同じ地域にある授産施設も休日のため職員がいない。うちのもうひとりの職員を派遣するのが精一杯。結局、本人は周囲の心配をよそに、1時間半後に帰宅。どう思っているのやら。
 ひとりで外出しないように打つべき手立てはいろいろあるが、それでもうまくいかないことはあるだろう。こんな時代なので、本人の位置確認ができるようなツールはきっとたくさんある。ただ、そこまでするとなると少し大げさに感じられるのも事実である。緊急時に方法を選んでいる場合ではないから、使える手段はみんな使ったらよい、と承知したうえで、人の手で地道に捜す仕組みをもっと考えておきたいと思う。
 行方不明事件は、その子どもが地域社会の中で生きているかどうかを試す機会ともなる。地域の誰にも知られていない子どもの捜索は、地域に頼れない。事業者としては、ガイドヘルプ等を通じて子どもと地域との媒介者になれればと思うが、いつでもそれができるわけではない。自宅の近辺を動き回る利用ならば、いくらか関係構築もできるが、ガイドヘルプの使い方もいろいろである。ヘビーユーザーであっても、本人の自宅にヘルパーが行ったことすらない子どもだっている。「地域による見守り」みたいな表現はなんだか保護的であまり好きではないけれど、やっぱり地域に知り合いは多いほうがいい。