泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

ニーズが社会制度を生み出さないのはなぜか

いま、だいぶ精神的に病んでいるのですが、下の記事でせっかく自分について言及いただいたので、思うところを少し書いてみたいと思います。

書かれていることについて、およそ頷きながら読みました。

ひとくちにNPOと言っても、課題解決のためにさまざまな手法を用います。公私関係についての考え方もさまざまでしょう。公的責任のもとに行われるべきことは何か。政府の役割とは、民間の役割とは何か。それは自ずと財源論を導くことになり、ファンドレイジングの手法をも規定していくことになります。

自分が取り組んできたのはおよそ「社会福祉」と呼ばれる世界での支援でした。社会福祉とは何かという話はなかなか難しいのですが、歴史的に見れば民間での先駆的な取り組みが生活に困る人たちの課題を明るみに出し、「公の責任」を問いながら、少しずつ受けられる支援を拡げてきた、と言ってよいと思います。それは公費(社会保障費)の増大を意味するわけですから、「人々の支え合い」であるとか「市場」でどうにかならないのか、という意見が出てくるのも自然なことです。

自分にとっては「公的な責任のもとに解決されるべき問題」への対処こそが、社会福祉の真骨頂です。個人の力ではどうすることもできず、「支え合い」や「市場」でも解決されない領域。再分配のあり方を問わなければどうにもならない部分。

自分がNPOの世界と出会ったのは2000年前後のことです。当時でも、他分野のNPOと関わっていると、あるべき資金調達についての温度差は少なくありませんでした。公的資金が投入されやすい福祉分野のNPOは他分野(例えば、環境とか国際協力とか)から苦々しく受けとめられ、大切な支援をやっていてもNPO業界内では「イケてない」と評価されやすいように感じていました。昔からある「社会福祉法人」と何が違うのか、とも思われていたでしょう。公的な責任のもとに行われる事業の単なる受け皿といっしょにされたくない、という人たちもいたはずです。

そのような中にあって、業界内で評価を受けていたのは「多くの人々と課題を共有すること」に長けたNPOだったように思います。「NPOらしいNPO」なんて言葉も聞かれました。これまで課題に関心を持たなかった多くの人たちからの共感を得ながら、展開させていくことが「NPO的」であるというイメージです。

公的な課題解決へ向けて施策が動き出すには、必ずしも社会全体の支持が必要じゃありません。当事者や家族や支援者による運動だけで大きく前進していける施策もあります。自分が最も長く関わってきた障害児の福祉もそうです。今でいう「子どもの貧困」や「待機児童」のように大きな注目を集めたことはないのに、使えるサービスはこの10年ほどで劇的に増えました。なぜなのかは、自分にもよくわかりません。それが「政治力」なのかもしれません。

「多くの人々と課題を共有する」には、さまざまなやり方があります。課題そのものをセンセーショナルに伝えてもよいし、課題解決の方法に新しさを見せてもよい。多くの課題は昔から変わらずあるのですから、その「伝え方」「見せ方」が大事です。例えば、障害者福祉で言えば、かつては目立たなかった「発達障害」をクローズアップしたり、「障害者にもこんな才能や能力があるのだ」とアピールしたりする取り組みは、耳目を引きます。インパクトがあり、情報の受け手の価値観を揺さぶるような発信が支援者を増やすわけです。

この延長にファンドレイジングもあると思えば、記事の中の「おしゃれNPO」がそれほど新しいものとは自分には思えていません。「社会起業家」系の人たちは「ビジネスの手法」を社会的な課題解決に活用してきたわけですが、それは「課題」という「商品」(皮肉ではありません)のマーケティングにも生かされます。インターネットが普及した結果、20年ほど前よりも目立ってきた、ということでしょう。

 さて、それでは「ソーシャルセクターによる私的救済」を自分自身も求めて活動していくのかと問われれば、たぶんこれからもやらないだろうなあと思います(リンク記事中で「その影響力を使い、私的な資金調達も可能だろう」と書いていただいたのはうれしいことですが…)。

大きな注目を集めることのできるおしゃれでかっこいい社会起業家とそのマーケティング戦略が、この社会の課題をすべて照らして、莫大な資金を持続的に調達できる、なんてことは幻想です。私たちがフィールドとしている地域で障害児を支援する福祉サービスに費やされる公的予算額は昨年、1億円を超えました。とても小さな町です。20年前は限りなく0円に近い数字でした。

昨今のクラウドファンディングの隆盛を踏まえても、それらが社会制度に取って代わるような力はないでしょう。局所的に特定の社会資源をスタートできる、程度です。

では、社会起業家による多額のファンドレイジングの成功例は、社会制度の変革をあきらめた結果と考えてよいでしょうか。もしかしたらそれで悦に入ってしまう人がいるのかもしれませんが、自分はそのように考えていません。

ここが重大な問題と思うのですが、社会制度を創出しようとする過程には、「必要」を示すよりも前に、まず「支援」を提供しなければいけない、というルールがあるように思います。すなわち「実績」が必要だということです。

何らかの支援の「必要性」は本来、丁寧なリサーチによって明らかにできるはずです。「こんなことに困っている」という当事者の声を集めて、その解決策を導ければ、すぐに社会制度が生まれ、支援がはじめられてもおかしくありません。けれども、そのようなリサーチが公的になされて、そこから制度が設計されることはめったになく、まず誰かがやってみる。そして、現に支援が提供されているのだから、ニーズがあるとみなされて、制度化がはじまる、という順序です。「こども食堂」もそうであり、「こども食堂」の次の展開もきっとそうなのでしょう。

自分自身が「やりがい搾取」について記事を書いたわけですが、自分はボランティアを否定するわけでもなく、その社会的な価値を認めています。もともと学生ボランティアからの出発でしたから。

社会や行政に求めたいのは、どんな形で取り組みがはじまるにしても、そこでニーズが具体的に見えてきたら、誠実に対応しようとする柔軟さです。やってみる中でわかってくることはたくさんあります。事前の想定を上回ることも下回ることもあるでしょう。ボランティアでできると思っていたことが、無理だとわかることもあるでしょう。

そのとき、次のステージへと向かうことをみんなで始めなければ、ずっと「やりがい搾取」が続いたり、一時的な特殊事例のままで終わってしまったりします。ひとたびはじめた支援を無責任に終わらせたり、誰かが無理を続けることにしないためにも、支援が社会制度としてニーズに適したものになるところまでみんな注目を続けてほしい。そのように思います。行政に対しても、寄付者に対しても、です(もちろん注目を続けてもらうためのNPO側の努力も大事です)。

リンクした記事中で言及された件についてはまだ結論が出ておらず、他にも小さな法人を揺らがせる課題が次々と出てきた4月で、心身ともにボロボロなのですが、書いてみました。なお「ですます調」なのは、すさんでいく気持ちを穏やかにしたかったからだと思います。たぶん。

自分の心身と組織がどうにか平穏を取り戻しますように。今夜は、朝までちゃんと眠れますように。

共感ありがとうございました

まったく状況は変わっていないのですが(むしろ複雑さは増している気さえしますが)、前回と前々回更新の記事をいったん下書きに戻します。ブックマークなどして後で読もうと思われていた方がおられたら、申し訳ありません。

大事なことを書いたつもりなので、また時機を見て公開するかもしれませんが、ひとまず。

すべては生き延びるために

短文のレビューだし、Facebookのほうに投稿するつもりだったのだけれど、なんだか不具合でうまくいかないので、ずっと更新のできていないブログに。

おさなごころを科学する: 進化する幼児観

おさなごころを科学する: 進化する幼児観

 

一読して、著者が本当に優秀な方だなあ……と。

認知発達についての説明は研究によって書き換えられていく部分もある上に、アプローチも多様なので読者を混乱させないように展開させていくのが大変だと思う。それを「乳幼児観」の変遷や上積みとして、きれいにまとめている。

著者自身の研究に基づく乳幼児観の部分を一番興味深く読めた。「それぞれの時期の行動はすべて適応的だ」というメッセージが、さまざまな特性をもつ子どもと関わる自分たちのような支援者にも馴染むからだろう。

乳幼児期の実行機能が限られているのはなぜか。イマジナリーフレンドにはどんな意味があるか。進化心理学的な知見に脳科学も加わって、定型発達の過程も、実在しないものを仮想することも、生きるための必然として捉え直されていく。

それは「問題行動」に対してあるべき理解にも似ている。もちろん、子ども自身にとって有意味だから何もかもが認められるわけではないけれど。支援の出発点としては、そこから考えを進めていくのが常道となってほしい、と思う。

ところで、読みながら思い起こしたのは、アメリカでベストセラーになった『Uniquely Human』のことだった。「自閉症」をまさに「適応のための行動」という観点から捉えた本。その邦訳が出たら「発達障害観」の転換に一役買ってくれると期待しているのだけれど、まだだろうか。出版予定は昨夏と聞いていた。ずっと待っている。

頑張れ、福村出版。

本年もよろしくお願い申し上げます

明けましておめでとうございます。

クリスマスイブに帯状疱疹を発症。年末年始は痛みと闘いながら、きつい神経痛が残るのではないかという不安に怯える日々です。

更新があまり期待されていないブログでしょうが、また思うところがあったときに何か書きたいと思います。

病気になって思うのは、情報があふれる社会ではあるものの、簡単に手に入るのは中途半端なものが多く、やはり信頼関係を築くことのできるプロと出会えることが不可欠ということでしょうか。

何も知らなければ目の前の医師の治療方針に従うしかありませんが、ネット上で病気についても薬についてもある程度の情報は手に入ります。闘病記のたぐいも見つかります。その中には専門の医師が書いたものや話したことも含まれます。目の前の医師の言うことを疑わせるには十分です。

病気の状態と治療について、人間の体の根本的なメカニズムから解説してくれる医師とめぐりあいたい、という今の気持ちから、支援者としての自分も省みたいと思います。それにしても、痛い。とても痛い。精神的にも滅入るばかり。

今年もよろしくお願いします。

ソーシャルワークの定義を通じて暴かれる欺瞞

(個人的に)待望の新刊。

国際ソーシャルワーク連盟による「ソーシャルワークのグローバル定義」というものがある。社会福祉系の大学等では必ず教えられるはずだ。

この定義は過去に2度改められてきた。せっかくなので引用しておく。

・1982年定義

ソーシャルワークは、社会一般とその社会に生きる個々人の発達を促す、社会変革をもたらすことを目的とする専門職である。

 

・2000年定義

ソーシャルワーク専門職は、人間の福利(ウェルビーイング)の増進を目指して、社会の変革を進め、人間関係における問題解決を図り、人びとのエンパワーメントと解放を促していく。ソーシャルワークは、人間の行動と社会システムに関する理論を利用して、人びとがその環境と相互に影響し合う接点に介入する。人権と社会正義の原理は、ソーシャルワークの拠り所とする基盤である。

・2014年定義

ソーシャルワークは、社会変革と社会開発、社会的結束、および人々のエンパワメントと解放を促進する、実践に基づいた専門職であり学問である。社会正義、人権、集団的責任、および多様性尊重の諸原理は、ソーシャルワークの中核をなす。ソーシャルワークの理論、社会科学、人文学、および地域・民族固有の知を基盤として、ソーシャルワークは、生活課題に取り組みウェルビーイングを高めるよう、人々やさまざまな構造に働きかける。

この定義は、各国および世界の各地域で展開してもよい。

だんだん長くなっていることは一目瞭然であるが、 これは様々な背景があって必要に迫られ「改良」を図ってきたゆえである。無意味に長文化したわけではない。

本書は「ソーシャルワークにおける『知』はいかにして社会的に作られてきたか」を「ソーシャルワークの新しいグローバル定義」に採用された概念につながる歴史を追うことで明らかにしようとしている、と思う。「と思う」と書きたくなるのは、この説明が書名とややズレているように感じるから。

このような書名で出版したのは、なぜだろうか。グローバル定義に使われた多くのキーワードは「近代西欧的なもの」に対して反省的である(「多様性」「地域・民族固有の知」など)。一方で「社会的結束」のように、暴動やテロなどのリスクが反映された概念も組み込まれている。

社会福祉が「社会事業」と呼ばれていた黎明期から現代に至るまで、日本の社会福祉(学)史もまた同様の「西欧近代的なもの」を抱えてきたのにその問題をスルーしてきた。また、例えば地域における人と人のつながりを重視する立場は、しばしば多様性の尊重どころか排他的に作用しうる。

日本の社会福祉学もそのような歴史と現状に目をそらすことなく自覚すべきだ、というメッセージと思えば書名に納得もいく(たぶん出版社から提案されたのだろうと勝手に想像)。

方法としては「ソーシャルワークにおける知」(とその担い手)に関する知識社会学、歴史社会学的な研究、と言ってよいのだろうか。各章では、特定の概念と関連の強い史実が取り上げられている。多くの研究者からあまり注目を受けてこなかったものにあえて注目して、明るみに出している。

もし書名のとおり「社会福祉学における『社会』の捉え方」を分析するのが本当の主題ならば、この研究方法では済まなかったはずだ。「社会福祉政策」ならばまだしも「社会福祉(学)」における社会観の変容について記述するには、どれほどの文献を対象にしなければならなくなるかわからない。

けれども「ソーシャルワークのグローバル定義の変容」を軸にしているから、ポイントは絞り込まれる。そこから、日本の社会福祉史においてあまり指摘されてこなかったことを言う、のが、たぶん著者のやりたかったことなのだろう(もしこの理解が誤っているなら、言いたいことはいろいろ出てくる)。

実際、コロニアリズムとか社会ダーウィニズムとか「五人組」とか、日本の社会福祉の中にもありながらほとんど言及されてこなかった暗部をずばずば突いてくる。過去についても現在についても社会福祉の欺瞞を許さない。

終盤は想像以上に政策批判的な色合いの強い本になっていった。研究者として、というだけではなく、ひとりの生活者として経験してきたことから「専門知」と著者の言う「在来知」のバランスについて考える機会をたくさん与えられたのではないか、となんとなく勝手に想像する。そして、そこに共感できる。最後は「当事者研究」とかに接続されていくのかな、とも想像しながら読んでいたが、そのあては外れた。時期尚早だったか。

最近は仕事上の必要に迫られて、発達心理の教科書的なものを読むばかりだったので、メッセージとストーリーの明確なものを読めて、とても面白かった。同時に、誰か「社会福祉学における『社会』と『知識』の歴史社会学」をがっつりやってくんないかな、とも思った。「社会福祉」と「社会福祉学」の関係もちゃんと整理しながら。

その際には「知識」の一語で表されるものも、誰かもっと機能別に類型化すべきと思う。その過程を経ないと、この本で言うところの「在来知」と「専門知」のそれぞれをどう評価すべきかを定めにくい。

研究者は当然読むべき。言われなくても、みんな読むだろうけど(そのためにこの書名にしているのだろうし)。読みやすいので、現場のワーカーもぜひ。

「障害者の可能性」と「甘えるな」の奇妙な両立

インタビュアーはかの北条かやさんである。

すべて説明されるがままに「そうなんですね」という感じのインタビュー。

日本財団に言われると、福祉事業者はお世話になっているところが多いからみんな黙るしかない。うちも障害者作業所ではないけれど、施設改修で助成金を受けたことがあるし。不勉強で旧態依然とした支援から抜け出せない支援者がたくさんいることも認めよう。

それでも、支援者を育んでいかねばならない立場から書くと、障害者支援を志す人たちにビジネスセンスがないことはこんなに見下されなければならないことなのだろうか。そして、このような煽り方で現場を奮い立たせることができるのだろうか。

世間のイメージでは、障害者施設というのは、「だらしない格好で、髪の毛も整えないような人がうろうろして、バザーをしている場所」といったものだと。そんな施設が建つんだったら、僕だって反対しますよ。

つまり、ちゃんとした姿を見せられない事業所側にも問題があるのです。だから、僕は反対する世間だけが悪いとは思っていません。事業者側が、そういうイメージを変える努力をしていかなければいけない。

身近な親や事業者が、障害者の可能性をつぶしている。

多くの障害者は、自己肯定感が育たないように教育されている。

今まではその「上から目線になってしまう原因」を、社会の差別心のような大きな問題として捉えていましたが、障害者を育てる人たちの意識に問題があったんですね。

障害者を「憐れの蓑」で包み、能力を低くとどめおく事業者が1番の問題だということですよね。

障害者に軽作業をさせるだけの事業者を、多額の補助金で甘やかすような現行制度が変わらないと。

そうです。制度のひずみ、効率の悪い福祉にこれだけ税金が使われているということに、もっと我々が関心を寄せていく必要があります。

中小企業はおろか大企業ですら10年後どころか5年後も安泰でなく、ずっと競争を勝ち続けなければ簡単につぶれてしまう世の中で、社会福祉や介護福祉を勉強してきただけの人たちに。

30万人のうち3割が一般企業で働けて、もう3割は最低賃金を払えるとおっしゃるのだから、18万人分の安定した障害者雇用を生み出せないのは支援者の怠慢だと。

地元の生活介護や就労継続の事業所と関わっているから、もうちょっと売れるもの作れるように頑張ろうぜとか、マーケティングに工夫いるだろとかは率直に思う。もし自分が成人の通所施設やるなら、もうちょっとは上を目指したいとも思う。 

けれども、誰もそんなビジネススキルを高められるような教育は受けてない。まずは、障害児が学校を卒業した後に「行き場所がないこと」を避けようとしてきた。それは地域によっては、今でも変わらない。目標として消極的だと言われれば、その通り。多くの障害者作業所は、切羽詰まった地域の事情から生まれてきた。「入所施設」に対して、地域生活を続けるために最低限の日中活動の場を用意する「通所施設」であったとも言える。

一方で、大学の福祉学部を出ても、介護福祉士社会福祉士等の国家資格をとっても、そのプロセスで知的障害や発達障害への十分な知識なんて得られないのが現状。まずは「障害」に対する適切な理解からのスタートになる。単なる「障害者の行き場所」を超えていこうとすれば、障害への十分な知識を得たうえで、さらに「働くことを通じた自己実現」に強い関心を抱き、ビジネスを学ばなければならない。

生まれた作業所は数年もすれば満杯になる。そこにさらなる卒業生を受け入れてくれと学校や相談支援からの要求が寄せられる。また新たな作業所を生み出さねばならない。新たに制度的な要件を満たした事業所を作り、力のある支援者を異動させる。また新たに支援者も雇う。これを数年おきには繰り返さねばならない。卒業生の人数を見ながらの事業運営と拡大(※ただし、社会資源の豊富な地域の事情は異なるだろう)。

仕事として「すべきことがある」のはとても重要だ。「できる」ことは自信につながる。知的障害や発達障害があると「自由」によって、かえって不安定になる人も多い。だから、とにかく場があって支援者がいればよい、というものではない。「すべきこと」「できること」を用意しなければならない。もちろん積極的に取り組みたいと思えることを。それは、正しい。

だから、「障害者」が充実した日々を送るために、ひとりひとりが自己肯定感を得られるような仕事を生み出していこう、と言えばよい。そろそろ「卒業後の単なる行き場所」を超えて、「働くことの喜びを得られる場所」に変えていこう、と言えばよい。思いはあってもそのための方法がわからない支援者のために、私たちは力になります、と。「社会保障費の偏在」「税金の無駄遣い」云々ではなく。

良い意味でのプレッシャーがあると、事業者側も、誰も買わないようなクッキーや手芸品を作っているままではダメだ、となる。

で、このインタビュー記事はその「良い意味でのプレッシャー」として、支援者が「明日から頑張らねば」と思える内容になっているのだろうか? 自分にはそんな書き方には思えないし、ますます現場の元気を失わせると思うのだけれど。その人なりの力を発揮しようとした末に「お前は甘えている」って言われて、頑張れる人を知らない。

「障害者」には「潜在的な力を活かせていないだけ」と言う人たちが、「支援者」には「甘えるな」と簡単に言えてしまうのがいつも不思議だ。きっと世の中が「健常者」と「障害者」の二種類でできているのだろう。

衆院選マニフェスト比較2017(障害者分野)

はてなブログに移行して最初の記事が恒例の「マニフェスト比較」になるとは思っていなかった。

はじめての人のためにいちおう書いておくと、国政選挙のたびに主要政党のマニフェストから「障害者」に関する部分だけを抜き出して、比較している。過去のものはこちら(参院選2010衆院選2012参院選2013衆院選2014参院選2016)。

社会保障や税制なども含む政策全体の中で見なければいけないとは思うけれど、ひとまずわかりやすく「障害児者」や「障害児者と関わる福祉・教育等の関係者」について直接言及した記述だけ確認しておきたい、という人には役立つかもしれない。マニフェストからの全文引用ばかりではしんどいので、私的なコメントもつけていく。

まずは、もちろん政権与党から。

自由民主党
政策BANK2017

人づくり革命
〇幼児教育の無償化や介護人材の確保などを通じてわが国の社会保障制度を全世代型社会保障へ大きく転換するとともに、所得の低い家庭の子供に限った高等教育無償化やリカレント教育の充実など人への投資を拡充し、「人づくり革命」を力強く推進します。
〇「介護離職ゼロ」に向けて、2020年代初頭までに50万人分の介護の受け皿を整備するとともに、介護人材の更なる処遇改善を進めることにより、現役世代が直面する介護に対する不安を解消していきます。

働き方改革
〇女性・若者・高齢者、障害や病気のある方やその家族など誰もが意欲と能力に応じて就労や社会参加できるよう、ガイドラインの制定や実効性のある政策手段を講じてテレワークや副業・兼業などの柔軟で多様な働き方を進めるとともに、就労支援、生活支援、居場所作りを進めます。

2020年東京オリンピックパラリンピック
パラリンピックのレガシー(遺産)として、心のバリアフリーの推進や公共交通機関、建築物、道路等のバリアフリー化を進め、障害者も高齢者も健常者も共生できるユニバーサルデザインの社会をつくります。

社会保障
〇地域の実情に応じた介護サービスの整備や介護人材の確保を進め、介護離職ゼロを実現するとともに、認知症の方と家族を支援します。

教育
〇いじめや不登校発達障害などへの対策を強化するため、スクールカウンセラーソーシャルワーカー特別支援教育支援員などの相談や支援体制を拡充します。

概要版とも言える「政策パンフレット」のほうには障害者関連の記述がなく、詳細を記した「政策BANK」のほうから抜き出すことになった。印象的なのは「社会保障」の項目中に「障害者」の言葉がないこと。介護人材の確保や「誰もが就労・社会参加」などは訴えているけれど、障害者に対する施策としては具体的な提案が無くなっている。

ただ、こうしたことははじめてじゃない。2014年の衆院選マニフェストでも「出産・子育て応援」の中に埋没したことがあり、そのときと内容としても似ている。一方で、昨年の参院選のときは具体的な施策に踏み込んでいて、選挙によってばらつきがあるのが自民党。与党として具体的な施策を掲げるときは、およそ道筋ができているときでもあって(実際、前回の参院選で掲げていた「医療的ケア」「訪問型発達支援」は来年度から強化される見通し)、大風呂敷は広げない。

次はちょっと長めの引用になる。

公明党

重点政策

3 人を育む政治の実現へ

障がい者のライフステージに応じた教育・支援の充実

●発達障がいを含めた障がいのある子どもが早期から継続的に適切な教育や支援を受けられるよう、発達障がい等の早期発見・早期療育支援、情報の適切な共有・引き継ぎなど、関係機関の連携による乳幼児期から就労期まで一貫した支援の仕組みづくりを推進します。

●一人ひとりのニーズに応じた連続性のある多様な学びの場の整備、特別支援教育コーディネーターの専任化のための教職員定数の改善、高校での通級指導の体制整備、特別支援教育支援員の配置促進など、障がいのある子と障がいのない子が、共に学ぶことをめざすインクルーシブ教育の支援体制を整備します。

●障がい児が幼児期から身近な子ども子育て施設を利用できるように推進するとともに、ライフステージに応じて、能力、特性を踏まえた専門的で十分な教育を受けられるよう、特別支援教育を担当する教員をはじめ、すべての教職員の資質能力、専門性の向上を促進します。

●障がいがあっても大学等で質の高い教育を受けられるように、各地域の中心となる大学へ財政支援を拡充し、障がいのある学生の修学・就職支援のための当該地域における「センター」の形成を推進します。

障がい者が安心して地域生活を送れるよう、グループホーム等の整備、農福連携・テレワークなどの就労・定着支援、発達障がい児・者の地域支援体制の強化に取り組みます。

●学習に困難を抱える子どもの学びを支援するため、デイジー教科書などのデジタル教材等を支給する仕組みを制度化するとともに、ICTの積極的な活用を推進します。

●新生児聴覚スクリーニングにより、聴覚障がいのある子どもを早期に適切な治療や療育につなげる体制を整備します。

⑸ 保育や介護従事者の賃金引き上げなど

処遇改善、キャリアアップ支援

●保育士・介護福祉士など介護従事者・障がい福祉サービス等の従事者といった今後の福祉人材の確保のため、賃金引き上げやキャリアアップ支援等の処遇改善や専門性の確保など総合的な取り組みを進めます。

●介護離職ゼロに向け、介護従事者の処遇改善や再就職支援、介護福祉士養成や学生等に対する支援などで必要な人材を確保します。

⑹ 介護の業務負担の軽減と生産性の向上

●介護事業所等のICT化による業務の効率化、情報の共有化を進め、介護従事者等の負担軽減とサービスの質・生産性の向上を図ります。

⑺ 地域包括ケアシステムの構築

高齢、障がい、児童等の対象者ごとに充実させてきた福祉サービスについて、多様化・複合化する地域のニーズに対応するため地域共生型の福祉サービスが必要となっており、それぞれの地域の実状を踏まえた地域包括型の支援体制の整備を進めます。

バリアフリーの一層の推進

●ユニバーサル社会をめざし、バリアフリー施策の見直しを行うとともに、鉄道駅等において「ホームドア」や「内方線付き点状ブロック」の整備、子育て支援施設、段差の解消や分かりやすい案内板などのバリアフリーや、心のバリアフリーなどのソフト対策を推進します。また、「新たなタイプのホームドア」のための技術開発も促進します。

高齢者、車いすの方、ベビーカー利用の方、妊娠中の方など誰もが安心して利用できる「ユニバーサルデザインタクシー(UDタクシー)」の普及・促進を図ります。

●デジタル・ディバイド(情報格差)を解消し、高齢者・障がい者を含む誰もがICTの恩恵を享受できる情報バリアフリー社会の実現のため、ウェブサイトの改善、高齢者・障がい者に配慮した通信・放送サービス等の開発・提供を促進します。

(22)人権の保護、性的マイノリティーの支援

成年後見制度が、必要とする人に十分利用されていない状況を改善するため、公明党主導で成立した成年後見二法に基づく施策を着実に実施し、ノーマライゼーション、自己決定権の尊重などの成年後見制度の理念を踏まえつつ、制度の改善、権利制限(欠格条項)の撤廃、人材の育成、不正防止対策などを進めることにより、成年後見制度の適切な利用を促進します。

●法テラスに寄せられるDV・ストーカー・児童虐待被害者の相談が年々増加傾向にあります。認知機能が不十分な高齢者・障がい者に対する援助も含め、体制整備とさらなる司法ソーシャルワークの推進を図ります

発達障害」「特別支援教育」「成年後見制度」への熱意は昔から感じられる公明党。「新生児聴覚スクリーニング」や「デイジー教科書」「司法ソーシャルワーク」などもかねてからの公約であり、こだわりが感じられる。新たな内容としては「ユニバーサルデザインタクシー」「介護事業所の業務効率化・情報共有化」。渋い。

ここまでが現与党。いくらか具体的な部分で共通しているのは「介護人材の処遇改善」と「特別支援教育の支援体制拡充」。特別支援教育については、自民党のほうがいじめや不登校も含めて、スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーなど「非教育職」に期待している一方で、公明党のほうは「特別支援教育コーディネーターの専任化」を目指しているという力点の違いも。

さあ、注目のあの党の障害者政策はいかに。

希望の党

希望の党政策パンフレット

公約6 ダイバーシティ社会の実現

性別、性的指向、年齢、人種、障害の有無等に関わらず、すべての人が輝ける社会を目指します。

政策集:私たちが目指す「希望への道」

5. 雇用・教育・福祉に希望を ~正社員で働ける、結婚できる、子どもを育てられる社会へ~
•医療・介護・障がい福祉に関する世帯ごとの自己負担額を合算し、所得や資産に応じて定める上限額以上の負担額は公費で補てんする「総合合算制度」を導入する。

「障がい」という表記と「総合合算制度」は、民進党の前回マニフェストから引き継がれている。前回もマニフェストにはこの一点だけの記述しかなく、マニフェストとは別に党サイトに掲載されていた「政策集」に細々としたポイントが書かれていたのだけれど、今回はそれも見当たらないので、「希望の党」としてはこれだけ。

民進党からの合流者の中には「福祉をライフワークにしている」と公言して憚らない議員もいるというのに、ずいぶんとさびしい内容。「ダイバーシティ」とは言うものの「特に、女性、シニアの力をさらに生かします」という記述もあり、「生産性の高いダイバーシティ」だけが好みなのだろうか。

日本維新の会

政策

(記述なし)

前々回の選挙で「就労支援を促進して、障害者を納税者に」(一行)。前回の選挙で「ICT技術の活用や、在宅ワークの推進で、障がい者(チャレンジド)を納税者に」(二行)。人間は働けてナンボの世界観の中でのみ「進歩」を見せてきた維新だったが、また言及が消失(4年ぶり2回目)。

「教育・子育て・労働・社会保障」のカテゴリーの中には「障害」どころか「福祉」も「介護」も出てこない。

「非与党」で「第三極」でもない二党がほとんど(全く)「障害」に言及しない、という結果。準備期間の短さは同情するが、障害をもつ有権者にとっては判断材料が何も提供されなかった。

ここからいわゆる「第三極」。

立憲民主党

国民との約束

1 生活の現場から暮らしを立て直します
②保育士・幼稚園教諭、介護職員等の待遇改善・給与引き上げ、診療報酬・介護報酬の引き上げ、医療・介護の自己負担の軽減


3 個人の権利を尊重し、ともに支え合う社会を実現します
障がい者差別解消法の運用強化、手話言語法制定の推進

障害福祉で働く人たちには「待遇改善」、障がい者には差別解消法の運用強化。総合支援法の現状に対するスタンスは残念ながら見えてこない。「手話言語法」はかつて公明党が繰り返しマニフェストに登場させていたが、民主党民進党も何も言ってこなかったはず。なぜ急に出てきたのか不明。

社会民主党

政策

3 憲法を活かした安心の社会保障

介護

〇介護従事者の賃金の引上げなど処遇改善を図り、介護人材の養成、確保に取り組みます。

障がい者

〇障害者権利条約、障害者差別解消法を徹底し、差別のない、共に生きる社会をつくっていきます。精神保健福祉法の改正案に反対し、地域医療・福祉の充実と権利擁護制度の創設の方向で抜本的に見直します。

障がい者の働く場を拡大するととともに、障がい者の所得保障に取り組みます。運賃割引制度を拡げます。

〇「手話言語法」を制定します。障がい者の社会参加に必要な情報アクセスやコミュニケーション手段を保証します。

〇ユニバーサル・デザインやバリアフリーをすすめます。

4 子ども・若者に居場所と希望を

〇障がい児保育、病児保育、一時保育などの体制を整備します。インクルーシブ教育をすすめます。

 社民党マニフェストの特徴だった「現状をたくさん書く」ことが無くなり、コンパクトになった(まとめる立場としてはうれしい)。

簡単に説明しておくと、「精神保健福祉法の改正案に反対し、地域医療・福祉の充実と権利擁護制度の創設」というのは、津久井やまゆり園の事件をきっかけとして精神障害者への監視を強化しようとする改正法案があり、それに対する批判。

共産党

総選挙政策

(膨大ですので、リンク先の「32、障害者、障害児」「36、教育」などをご覧ください…)

毎回、共産党マニフェストは全文の引用ができないほどのボリューム。総合支援法は廃止して、民主党政権時代の「基本合意」や「骨格提言」にもとづく障害者総合福祉法を制定するが、当面は総合支援法の抜本改革にとりくむ、というスタンス。

「我が事・丸ごと」政策は公的責任の放棄で、合理的配慮は努力義務から完全義務化へ。利用者負担は無料で、就労継続支援はB型でも最低賃金保障。日額払いではなく、月額払いに戻す。報酬大幅減が検討中の放課後等デイはむしろ報酬を引上げ。

実現可能性がないのはさておき、全国さまざまな地域からあがってきた課題を吸い上げて作られているようなので、自分のような関係者ですら知らなかった論点がでてきて勉強になることもある。

個人的にツボだったのは「保育所等訪問支援事業の保護者負担をなくし、自治体ごとの巡回指導も引き続き保障します」。民間の事業所による保育所等訪問支援があるからと、ずっと自治体で実施してきた巡回指導を打ち切るところが出てきている、ということなのだろう。かなり無茶な話だ。

 

さて、いわゆる「第三極」に共通しているのは「介護職員の処遇改善」と「差別解消法の推進・強化」と「手話言語法」となった。立憲民主のボリュームが少ないので、共通項を見出すことにあまり意味はないかもしれないけれど。

それでも、「与党」と「第三極」のすべてが介護職員の処遇改善は訴えているわけなので、これからも処遇改善は拡充されるのだろう(主要政党の中でこれを書いていないのが「希望」と「維新」だけであるというのはとても興味深い)。基本報酬を上げるのではなく、ちゃんと従業者に対して支払われるようにと処遇改善を条件にして加算をつける、というやり方はずっと続いている。正直言って、現場は必要とされる書類の多さにうんざりしているし、手放しでの評価はできない。それでも、何もないよりはマシ。

 

全体として、 障害児者が使える福祉制度の内容についてはあまり書かれなくなり、一般施策(教育とか労働とか)の中での支援に関心がシフトしているような印象。福祉制度に課題があっても、複雑すぎて扱いづらいということかもしれないし、「集票」を意識すれば支援対象の裾野は広いほうがよいということかもしれない。いろんな解釈ができると思う。

以上は「障害者」に限ったマニフェスト紹介に過ぎないので、誰かが「子どもの貧困」とか「不登校」とか「生活困窮者」とかでも作ってくれるとうれしい。やってみるとわかるが、けっこうめんどくさい作業である。

あ、「日本のこころ」を書き忘れていた。もちろん記述なし。