泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

学生たちによる「報告会」の風景

 夜、学生スタッフが十数名集まって、事務所の隅で「報告会」らしきことがはじまる。
 うちで障害をもつ子どもたちを支援している学生スタッフたちは研修の必要性をいつも感じているようだが、決して外部から講師を招こうとか、法人の正職員から本格的に教えてもらおうとは思うことなく、また外部研修に足を運ぶこともなく、これまでずっと「自分たちで本(ほとんどイラストばかりのもの)を読んで、教え合う」という手法をとってきた。いちおう一流大学の学生たちであるが、決して文字ばかりの本は読みたがらない。浅い知識しか得られないので、当然のごとく自主研修は盛り上がらない。易しい入門書を読んでわからないところは、親しい職員に聞くことでカバーして、それで終わり。
 そんな学生たちの一部が先日某所で行われた講演会に行ってきた。成人の自閉症当事者によるものである。活動で関わっている子どもたちとはずいぶん年齢も生活環境も特性も違うと思われるが、たぶん勉強しようと思い立ったときに間近で見つけられた研修機会がそれだったのだろう。
 どうやら報告会は、その講演会についてのものらしい。自分はパソコンで事務作業をしていたが、さほど広くもない事務所である。嫌でも内容は耳に入る。
 複数名が講演会で聞いた内容をいくつかのポイントに分けて順に説明していく。全員が手持ちの原稿を読んでいるので棒読み口調がものすごく気になる。しかし、もともとの聞いてきた話が当事者のエピソード満載であるので、印象的な部分をピックアップするだけでも十分に興味深い中身にはなる。報告の手法としても、あれこれと視覚的なツールを用意していて、飽きさせない工夫がこらされている。
 いくつかのエピソード紹介→自閉症の特性を説明→これから自分たちの支援も見直していこう、のパターンを報告者全員がなぞりながら、報告会は終わった。職員の誰かから「あくまで個人の経験だから、自閉症の人みんなに当てはまるとは限らない」という助言も受けていたようで抑制も効いており、聞いている限りではさほどひどい飛躍は見られなかった。全体として及第点はあげられるのではないか。
 報告会が終わると、全員で報告会に対する「評価」がはじまった。聞いていた学生が「わかりやすかった」と口々に褒める。学生は盛り上がり始めると非常にうるさく、こちらは仕事に集中できない。うちは他法人の事務所と同居している。他法人の職員が電話で話しているときでさえ、いっさいの気遣いはなく、騒がしい。ああ感情的に叱りつけたい。が、学生担当の職員が加わっているので、自分が出ていくのはぐっと我慢する。
 説明に含まれていた基本的な概念について、ひとりの学生が疑問を呈するが、誰も明確に答えられず、不毛なやりとり。こっちに聞きに来れば即座に答えるが、あくまで自分たちで解決したいらしく、聞きに来ない。ネットで調べ出して、おかしなところに着地しそうになるので、我慢できなくなり自分から口をはさむ。自分がしゃべったのは、今日ここだけ。
 報告の中身について「もっとこう話したほうがいい」というような議論もしており、「それは報告者と参加者がここで議論をすることだろうか…」と思っていたところ、なんと今日の報告会は「リハーサル」らしく、本番はまた別の学生たちも含めて、後日行う予定である、というオチ。すべてを完全な準備のもとに予定どおりにやってみる100%のリハーサル。君たちは大学のゼミ発表でもそんなことしないだろう…。
 ボランティアとしての熱意と努力にあふれつつも、積極的に壁を乗り越える勇気は出せず、成果をあげるための効率はいつも悪い。しかし、ときどき学生だからこそできるような仕事をやってのける。そんな学生たちへの思いはいつも愛憎半ばだ。