泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

運動と官僚と政治についてのさらなる疑問

 今日は何をおいてもこの記事だろう。
障害者制度改革の重大な岐路 竹端寛
http://synodos.livedoor.biz/archives/1898730.html

 少し前のブログで自分が言及した記事なども含めてのわかりやすいまとめ。非常に読みやすい。多忙を極めておられるであろう中でこういう長文をまとめられるのはさすが。
 個人的に興味のあったところは、このあたり。終盤。

我が国では官僚機構の上に立つ大臣や政務官がコロコロ変わる。社長がしょっちゅう交替しても会社が持つのは、官僚制がしっかりしているからである。だが、その官僚制に対して「変革」を突きつけた当時の社長命令や、それにもとづいて出された骨格提言に対して、対応できないのは官僚制の機能不全ではないだろうか。もちろん、官僚システムの批判ばかりしても本質は捉えられない。政治家(=厚労省の政務三役)にビジョンがないなら、省を守るための策は、官僚が構築せざるを得ない。省益の追求、と言われるものも、逆に言えば、政務三役の頼りなさの結果とも言える。そして、継続性と安定性を重視する官僚自身に、その枠組み自体を覆すような大胆な改革は難しい。
(中略)
前例踏襲は平時においてはたしかに大切だ。だが、その前例こそが問題になっている場合や前例の「想定外」の事態においては、上記モデルは問題解決に適さず、逆に混乱を増幅させる。パラダイムシフトとは、これまでの枠組みそのものを疑うメタ思考を指すが、従来の法体系の継続性と安定性を守りたい厚労省案に、その枠組みへの批判的捉え直しの芽はない。官僚と協働するか対立するか、という安易な二項対立で考えても本質は捉えられない。新旧のパラダイムの対立時に官僚制にすり寄ることは、アンシャンレジームの肯定に繋がる。緊張関係を孕んでも、新たなパラダイム構築のためにこそ、官民の協働が必要だ。
(中略)
政策形成過程とは、ステークホルダー間での闘争と妥協のプロセスでもある。総合福祉部会の骨格提言がそのまま一気にすべて実現されるとは思わない。だが厚労省案がそのまま可決されるようでは、政府や議会制民主主義そのものへの信頼が根底から崩れ去る。二つの案の溝を埋めるための、現実的な歩み寄りにこそ、政治家は携わるべきである。ここの部分を政府与党の政治家は勘違いしてないか。
(中略)
漏れ聞く政治家の対応のなかには、厚労省案「しかできない」と思い込んでいる節もある。官僚の「ご説明」ばかり聞いていると、そうなるのかもしれない。だが、政治家の本領とは、官僚と55人委員会の双方の意見を忖度し、パラダイムシフトに見合う解決方法を指示することにあるのではないか。本当の政治主導とは、まさに「骨格提言」のような「大局観」を示すことである。それも現状追認のトートロジーではなく、変える度胸と突破力を持つことが必要だ。国会対策とか、法律がとにかく通りさえすればよい、という矮小化された議論に終始するならば、どの政党の政治家であれ、有権者から見放されるだろう。

「あるべき姿」という「大局観」を見据えて、「現実」との落差のなかから「問題点」をえぐり出し、改善に向けた枠組みや方向性を官僚に提示し、実現に向けて動き出す。そのような政治主導こそ、いま、まさに求められている課題ではないだろうか。

 障害福祉とは直接に関係をもたない人々に読んでもらうことをねらいとしつつ、最終的には「民主党」に向けて書かれている印象も。

 中央の運動から遠く離れた地方の事業所の立場から、いくつか考えたことを書き留めておく。主には、本論中には書かれなかったことについての疑問である(書けることと書けないことがあるのだろうし、お忙しいだろうとも思うし、仮にここを読んでおられたとしても回答が欲しいというわけではありません>竹端さん)。

・「緊張関係を孕んでも、新たなパラダイム構築のためにこそ、官民の協働が必要だ」について。この種の議論は、どうしても「相互に批判的な協働関係が大事」というところに落ち着きやすいのだけれど(NPOと行政の関係性においても、よく言われる気がする)、それを実現させる両者の要件とはいかなるものなんだろう。大きな目標(パラダイムシフト)が共有されない中では、極めて困難でないかと思うのだけれど。だからこそ、ここはその溝を埋めるために政治家が努力すべきだ、という趣旨として理解してよいのだろうか。
・政治家が官僚に言いくるめられて「厚労省案しかできない」と思ってしまうのに対して、運動はどのような対抗策を講じるべきなのだろうか。また、今回の場合はどのような策が講じられてきていたのだろうか。
・実際のところ「「大局観」を見据えて、「現実」との落差のなかから「問題点」をえぐり出し、改善に向けた枠組みや方向性を官僚に提示し、実現に向けて動き出す」ことのできる力量のある政治家というのはいるのだろうか。いないとすれば、それはなぜなのだろうか(民主党には福祉をライフワークとしていた議員もいたはずなのに、残念ながらメールマガジンではどんどん寡黙になっていった)。単なる政治家の「質の低さ」なのだろうか。実行力のある議員を生み出し育んでいくために、運動には何ができるのだろうか。