どこまでも世俗
信仰があるというのはときにうらやましい。
もともと信仰心など薄い人間であったが、大学で社会学を専攻してしまったことはいっそう宗教から自分を遠ざけた。大学入学が1995年だったというのも影響しているかもしれない。大学には宗教への警戒感が漂っていた。
実家の母は信仰をもっていなかったが、聖書はよく読んでいた。彼女にとっては人生訓として意味のある言葉が多かったのだろう。よく話を聞かされた気がする。でも、肝心の中身は忘れてしまった。きっと自分で聖書を読めば、また思い返せる。
その昔、自分の精神状態が最も深刻な状態だったとき、医者から「心理学とか哲学とか読むな」と言われた。その理由は特に聞かなかったが、今なら「脳科学とか読むな」とも言われるのだろうか。超越的なものを持ち込めるほうが強くなれるときはあるに違いない。少なくとも現実的実践的なハウツーで努力を求められることにも、社会のありようを責めることにも辟易しているとき、救いが見つけにくいのは確かである。