泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

「自然」に期待できるもの

 子育て支援関係の講座を実施。
 発達障害などとは特に関係のない企画。法人でやっている子育て広場に来ている保護者向けの講座である。地元の子育てサークルからの要望などもあり、「森のようちえん」的なことをされている団体から講師に来ていただいた。幼児教育歴数十年の大ベテランの方。
 自然体験などを大事にしたサークルの活動が拡大されていくきっかけになることも少し狙ったりしたのだが、参加者(ほとんどが子連れ)の様子を見ていると、事前の予想よりも切実な課題を抱えた親子が多いような気がする。現代的な子育て環境への問題意識があって、新たな場所を求める保護者が集まるのかなと思っていたし、実際に参加者の自覚としてはそうだったのかもしれない。
 でも、子どもの様子を見ていると、屋内で遊ぶのが苦手というか、外で体を思い切り動かさないとなかなか落ち着けないタイプの子が多い気がする。講演の間にちらちらと様子を見ただけの判断だし、おそらく「発達障害」とまでは呼ばれないだろうが、感覚・運動面の特性は少し目立つ感じの子どもたち。
 豊かな自然環境の中で、思う存分に、大人からあれこれと注意や指示を受けずに遊べることはどんな子どもにとっても意義がある。制約の中で失敗体験を繰り返して自信を失いやすいタイプの子どもたちには特にそうだろう。公園でさえ、やってはいけないことだらけだし、家の中で飛び跳ねれば親は黙っていない。山や森は誰にとっても寛容である。登れる限界まで木に登ればいいし、草花をどっさり摘んでもかまわない。
 他方で、自然環境の中で学び育つことは、一定のレベルを超えると、子どもにスキルを求めてくるものであるように思える。自然の中にも秩序はあるが、それは人工的なもの以上にわかりにくい。一般的な子育て支援の文脈ならば「自然の中で子どもたちどうしが相互に関わりあって成長していく」と言って済むのだろうが、それではただ混乱するばかりの子どもたちもいる。
 「自然」は人に温かくも冷たくもある。どこで実践しようが、子どもにとって必要な支援は変わらない。「自然」は遊べる環境を提供してくれるかもしれないが、支援の肩代わりはしてくれない。この点だけは押さえておかないと、少し危なっかしい。