泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

[日誌]評議員会にて

 週明けにかけて、とてつもなく忙しい。作らなきゃいけない文書のたぐいが多い。と嘆いていたところに、昨日の課長会議資料。プリントアウトしたものを写真に撮ってここに載せたいほどの分厚さ。全458ページ。2ページずつ印刷しても、229枚。このうち、どことどこを読まなきゃいけないのか。誰か教えてはもらえないだろうか。これまでと大部分はだぶっているようだし。ガイドヘルプ直前に雨が降ってきて靴の中は水浸しになったり、コンビニで買った焼きそばにスプーンがついてきたり、今日は疲れの出ることばかり(スプーンはどうでもいいけど)。
 夜は養護学校評議員会だった。養護学校の高等部3年生の進路について、高等部の部主事から詳細な説明を受ける。なんだかんだで福祉的就労or一般就労or訓練校など、みんなどこかしらに落ち着いてはいる。うちの利用者をたくさん含む、この地域の生徒も、みんなどこかに決まった(今年度はなぜか障害の重い生徒が多く、福祉的就労ばかり)。
 しかし、職場実習の様子など聞くと、みんな苦労している。数回の職場実習で、内定をもらえるだけの力を発揮できる生徒は多くない。3ヶ所、4ヶ所回って、すべてうまくいかない生徒の心理はどんなものだろう。これらの失敗体験に対する心理的なケアについて質問したけれど、期待した回答はなかった。「ありのままでいい」と「できるにこしたことはない」の間でどちらに傾くこともできず、進路を模索し続けることはきっと楽じゃない。また、就労移行に熱心な別の評議員が話していたが、はっきりと就労に価値を置くにしても、今の実習の形態には限界がある。自立支援法の就労移行支援の期間が1年半ほどで設定されていることを考えると、学校教育の中でなされる実習はあまりに中途半端である。これからは自立支援法下で就労移行支援が機能すれば、養護学校にかかる負担も軽くなるのだろうか。
 そして、次年度も養護学校生は人数増。また特別教室が一般の教室に転用される。施設も増築するので、教職員の車通勤が原則禁止。今後も増える一方ではないかと予測されている。
 なぜこんなに増えるのか。地域の障害児学級は3割が1人学級で、2割が2人学級。平均で言うと、1クラス2.4人。全国平均の2.8人より少ないのは田舎だからかもしれないが、「大きな教室に子どもがひとりでいるのでは寂しい」と保護者には感じられていると教頭からは説明。しかし、地域の教育的資源があまりにも障害児に理解を示していないのも一因ではないか、と自分が主張。
 この1年ぐらいで学級担任や学童の指導員に対するクレームを、ずいぶん障害児学級生の保護者から聞いてきた。この地域に関して言えば、養護学校に通ったほうが精神的に楽である。福祉的支援や教育的支援の評価軸はいろいろあるだろうが、障害そのものを否定的に理解しないことは支援者に最低限必要なことだ。それができていない地域資源があまりに多い。このような状況では、たとえ子どもを地域の中で学ばせたくても、消極的に養護学校が選択されてしまうだろう。養護学校の教員と地域の学校で人事交流が行われた事例も紹介されていたが、もっと活発に行われていいと思う。
 自閉症児に対する「脱構造化」の話とか、自分の地域で運動せずに資源のある地域に引っ越してしまう家族の話だとか(これは以前からよく指摘されている問題)、今回はなかなか有意義だった。評議員のそれぞれが持ち味を出すと、けっこう盛り上がる。