泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

学校は選べるようになっても

 特別支援学校に通う子どもが年々増えて、「発達障害」の名のもとに子どもたちの排除が進んでいるのだみたいな主張もあるわけだが、在籍する学校・学級と障害の重さが単純に結びつかなくなってきている、というのも現場の実感ではないだろうか。支援学校に軽度の障害の子どもが早くから通うこともある。普通学級に知的障害+発達障害の子どもが通うこともある。どの学校・学級が子どもにとってベストであるかは、様々な条件を総合的に考慮して保護者が決めることだ。ひとまず就学について保護者がわが子にとって最良と思われる判断をしたとしよう。
 この選択は、放課後にも影響を及ぼす。子どもたちのために放課後に用意された制度施策は、小学校と支援学校で異なる。地域の小学校に通う子は、保護者が働いていれば、子育て支援施策としての「学童保育所(放課後児童クラブ)」を使うことが多いだろうし、支援学校に通う子どもはほとんどが「障害福祉サービス」を使うことになる。
 地域の小学校に通っていて、保護者が就労していると学童保育所(放課後児童クラブ)に通える。地域によって、形態はさまざまだ。学校の空き教室を使うこともあれば、校舎に併設して建物を有する場合もある。校外の民家など使う場合だってある。運営主体も公私さまざま。指導員の考え方もばらばら。利用できる学年の上限もばらばら。
 保護者の就労保障に限らず、「放課後の児童の健全育成」も理念に掲げる学童保育所であるのだが、学校とも家庭とも違う独特の場所である。子どもたちは指導員に「お帰り」と迎えられる。学年によって、学童にやってくる時間は学年によって違う。学童から帰る時間は保護者の就労状況などによって違う。異年齢集団であり、普段は接することのない上級生や下級生ともいっしょに過ごさねばならない。
 学校の授業ほどに明確な時間割があるわけではないが、まったく自由なわけではない。学校で出された宿題はやらされるし、当番が割り当てられたりもするし、掃除だってやらされることもある。仲のいい友だちがいたり、好きなおもちゃがあったとしても、子どもにとってみれば、窮屈さを感じる場面も多いだろう。
 就学先の選択のときに、学童保育所で過ごせるかどうかまで含めて判断されることはあまりないだろう。不安があったとしても、まずは学校生活のことを中心に考える。すると、放課後については選択肢なしに行き先が決まってしまう。結果として、学校・学級では問題ないが、放課後の居場所では困難さがある、という状況も生まれる。
 実に前置きが長くなったが、学童保育所を使っている普通学級生が「長期休暇にずっと学童保育所で過ごすのは難しそう」という事態が生じてきた。今の時点でも少し無理がある様子。夏休みを想像してますます保護者の不安が大きくなる。学童サイドに変わってもらうのは、どうやら無理。
 それならば「障害福祉サービス」を併用すればいいんじゃないだろうか、と思うのはすごく自然な思考である。で、関係者が行政に相談した。「学童に行っているけれど、夏休みだけ福祉サービスも少し使いたい」と。行政サイドから見た支給額としては数千円から多く見積もっても2万円ぐらいだろうか。
 すると、たったその程度の支給をものすごく渋る。「併給はすべきでない」みたいに言われる。制度体系が違うのだし、そもそも同一機能のように見えても、一方で過ごすのが難しく、もう一方ならば過ごせるのだから、それは重複しているとはいえないだろうと思うのだが、いろいろと理由をつけられて利用を回避させようとする。
 しまいには、うちで長期休暇に支援学校・支援学級生向けにやっているサマースクールで受け入れられないか、と言いだす。スタッフは学生ボランティア。行政からの補助は数十万程度。すべて消耗品と学生スタッフへの交通費に消え、職員の人件費は1円も出ない。自慢じゃないが、職員の人件費をきちんと算出すると、年間に数百万の赤字を出す事業である。そこにまだ依存しようとする。
 断固拒否して、どうにか支給決定してもらえる段取りにもちこんだものの、放課後の選択肢について柔軟な判断ができるように、子育て支援施策と障害福祉施策のよくわからない区分をさっさと国レベルでも取っ払ってほしい、と切に願う。