泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

[日誌]次年度のこと

 自治体福祉課に支援費の請求書類を持っていって、次年度に向けての話をする。しかし、お互いから出てくるのは暗い話ばかり。担当者は「国は介護保険の事業所に障害者の支援をやってもらいたがっている」と言う。そのほうが時間を有効活用することはできるのだろう。収益を得るためにこんなふうにしたらどうか、という提案をいろいろとしてくれるが、すべてに簡単に反論できる。話せば話すほどに知的障害者福祉で他事業の赤字を埋められるような収益性を持つ事業なんてもうどこにもないことばかりが鮮明になる。
 その後、ガイドヘルプを2件こなし、ウィンタースクールの事業報告書を少し作り、帰宅すると携帯に電話。大学の教員募集の話。障害者福祉論。次年度は自分の給与額を大きく下げようと思っていて、生きていくためには少し副業収入が必要なのでかなり動揺させられる。仕事に与える影響はかなり小さめで、非常に恵まれた条件の話だったが、自分には業績が少ないので、難しいだろうという話になる(この日記を書いているうちにもう一回電話があり、大学院に学籍が残っているのも無理という情報が追加)。間に入ってくれている人は「一応、伝えてみる」と言ってくれるが、たとえ業績面でOKとなっても今の事業所の状況や自分の力量を考えると無理ではないかという気も強くする。ありがたい話だが、求人が公になっても申し込みはしないつもり。
 事業所に対する責任感や大学で数百人を前に教えるだけの自信を自分が持っていないということを自覚できたという点では貴重な話だったかもしれない。まったく勉強が足らない。それにしても大学教員はやっぱりすごい。週2日の講義だけなのに、年収が今の倍以上になる。いったいどんな根拠で額が決まっているのだろう。こっちは毎日働いているというのに、世の中よくわからない。