泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

大型店

大型店とまちづくり―規制進むアメリカ,模索する日本 (岩波新書 新赤版 (960))

大型店とまちづくり―規制進むアメリカ,模索する日本 (岩波新書 新赤版 (960))

 読了。
 アメリカでは大型商業施設の出店規制を求める社会運動・規制が強まっているそうだ。規制をかいくぐろうとする企業とのいたちごっこにもなるようだが、「小さな町」を好むアメリカの良心も見ることができた。
 大型店批判として「町の魅力が失われる」「環境が破壊される」など、さまざまな言い分があるが、「地域商業の空洞化」「所得の域外流出」はやはり説得力があるようだ。商店街や商業会議所からの依頼を受けたシンクタンクの調査結果として、域外商店よりも地元商店のほうが地域経済に対する貢献度が大きいことが示された事例が紹介されている。

 試算によると、地元商店で1ドルの消費活動があると、地域経済に平均73セントの経済効果が生まれる。ところが域外商店で1ドルの消費活動があっても、地域経済は平均43セントの経済的恩恵しか受けない。
 この傾向は、レストラン、小売店、サービス業の間で違いはなかった。(中略)なぜ、これほど大きな違いが出たのか。(中略)次の理由を列挙している。
(1)域外商店は本社で業務を集中管理しており、相対的に被雇用者数が少なく、賃金も安い。その結果、労働分配率が平均して地元商店の29%に対して、域外商店では23%に止まっていた。(中略)
(2)地元商店は利益を地元に再投資するが、域外商店では利益が本社に吸い取られ、再投資先もグローバルである。
(3)仕入先は地元商品の平均地元調達率(売り上げに対する地元仕入額の比率)が6.2%だったのに対し、域外商店はその半部以下の2.9%に過ぎなかった。
(4)寄付についても地元商店主は地域活動に熱心に取り組み、地域のNPO活動などに積極的に参加している一方、域外商店は本社地域や全国団体に寄付金が回される傾向が強い。
(130〜132ページ)

 大型店の代表として槍玉にあげられているのは「ウォルマート」。1セントでも安い商品を提供しようとする経営方針は、労働者どうし、工場どうしを競わせ、納品価格の引き下げを推し進める。コミュニティ活動支援に熱心で労働搾取に批判的だった(がゆえに安売り競争の中で苦境に立たされていた)リーヴァイスは、販路を求めてウォルマートと提携した結果、生産基地を国外へ100%移転せざるをえなくなる。「要求された納品価格では、労働者を無給で雇っても赤字になる」というアパレルメーカーの話もあった。労働者の賃金や福利厚生の悪化は進む。
 大都市から離れた小さな町の郊外に出店し、その平均的な顧客像は貧困層。その20%が銀行口座をもっておらず、さらに20%は失業者か年金暮らしの高齢者。

 ヘンリー・フォードは労働者にできる限り豊かな賃金を払い、それをフォード車の販売につなげる戦略をとった。しかしウォルマートは逆に、低賃金、低福利厚生制度に徹し、労働者に「毎日、安売り」のウォルマートで買い物をする以上の余裕を与えない、という「貧乏の持続政策」をとってきた。そのためには労働組合をつくらせない。出店先の田舎社会が保守的で労働組合運動に冷笑だったことからも、ウォルマートにとっては幸いだった。
 ウォルマートの競争相手も、対抗して賃金・福利厚生の切り下げに動く。したがってそこで働く労働者も、苦々しく思いながらもいずれはウォルマートの顧客となって生活を切り詰めることになる。当然、競争に敗れて失業した労働者もウォルマートのお得意先となる。こうして「ウォルマートの「貧乏を持続的に拡大するビジネスモデル」が完結する」(142〜143ページ)

 日本では、ここまでの状況には至っていないだろうが(ウォルマート傘下の西友も業績不振らしい)、自分の今暮らしている地域を考えてみると、まさに来月に大型店がオープン予定である(おまけにオープン当日にガイドヘルプで行く予定になっている)。地元自治体の期待はおそらく大きい。もともと商店街らしい商店街もなかったが、多くの小売店は近隣自治体にある大型店に客をとられ、壊滅状態である。税収も落ち込んでいたはずだから、大型店がどどーんとできて、所得の流出も防ぐことができ、一安心しているだろう。しかし、近隣の大型店との間で競争が起これば、広域的にはマイナスの影響も及ぶ。ここから5キロもない別の所にはシネコンを含んだ大型店もできる予定がある。その予定地近くにある大型店はかなり客足が鈍いようだから、きっとつぶれるだろう。
 自治体は作業所の授産品の販路にならないかと、大型店ができると必ず働きかけている。それで生まれる販路も実際にある。障害者福祉サイドからすれば、ありがたい話にちがいないが、どんなまちづくりをしたいのか。ビジョンは相変わらず見えない。