泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

サービスになりきれない支援

 間接的にクレーム。原因はもうわかっている。組織の側も利用者の側も、ボランティアグループの時代からの意識を少し引きずっているのだ。今でもボランティアに支えられている事業はあるし、同じ人間が多くの役割をこなしすぎている。ときに有償のヘルパーだったり、ときにボランティアだったりする。NPOマネジメント論なら、はっきり線を引けとでも言うだろうか。しかし、十分な支援者も確保できない中で、そんな余裕などどこにあるのか。動ける人間が動くしかないのである。ひとつひとつの事業の中で区別するのは最低限のこととしても、組織全体ではそうもいかない。使う側は、同じ支援者に対してあるときは「サービス」であることを求めたかと思えば、あるとき「良き友人」として接してほしいと望む。文脈ごとに都合のいい使い分けをされているようにも思えるが、歴史的な経緯から考えると、無理からぬことでもある。
 加えて、制度が未成熟であるから、「サービス」と言いながらも、利用の実態はお互いに妥協含みだ。その点で言っても、まだまだ「サービス」にはなりきれていない。今後の政策動向からいえば、もっと後退する可能性だってある。相互扶助的な形態へと人々の関係性を押し戻しながら、そのほかの要素はすべてサービス業がモデルとされる制度設計。やりきれない。
 最近、こんな話ばっかり。進歩がない。