泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

辞めるということ

 引き続き停滞中。何もかもやる気起こらず。体調も悪く、朝から下痢。先ほどから腰痛まで起こり始めた。ボランティア集めのために20件くらい電話するが、ほとんどつながらず。折り返しても来ない。いつものこととはいえ、うんざり。
 孤独感が強まっている。なんだかどこにも味方がいないような気さえする。こんなにあれこれ考えているのに、積極的にいっしょにやろうという者はどこにも見当たらない。ただ空しい。法人立ち上げから2年と少し。見通しのなさから別の人生を考えたことはしばしばあったけれど、今回もまたそうだ。
 実際のところ、そんなことはできるわけもない。支援者が逃げることは簡単だけれど、当事者は現状から逃げられないのだ。これほど支援者と当事者をはっきりと分かつものはない。支援者が辞められるときは、その支援者がいなくなっても問題がないシステムをきっちりと形成できている場合だけだろう。もっとも、ひとりのスタッフの経験や力量が支援の質を大きく左右しやすいこの業界において、そんなシステムを作ることはかなりの力量がいるし、支援者もひとりの労働者であるのだから辞めるのは全くの自由だ。当事者の苦しさと支援者の苦しさを天秤にかけることにも意味はない。誰ひとりとして主観的な苦しさの比較などできる立場にはいない。
 もはや古典になりつつあるのかもしれないが、ボランティア論には金子郁容が『ボランティア もうひとつの情報社会』の中で唱えた「自発性のパラドックス」「バルネラビリティ」の考え方がある。金子はボランティアを「自発性のパラドックス」の中に自分を投げ込む者として理解する。自発性のパラドックスとは、「自ら進んで行動を取った人は、その後もいっそうの自発性を発揮することを期待され、しかも、傍観しているだけの人の分までの負担を負わされて『わりをくう』というもの」である。金子はこれをネガティブに捉えるのではなく、ネットワーキングの起点として評価する。そのような傷つきやすくて脆い状態(バルネラビリティvulnerability)に身をおくことの「弱み」が「強さ」へと転化することに、ボランティアの可能性を見出すのだ。
 おそらく金子にとって、ここでいうボランティアが無償であるか有償であるかは、問題ではない。生業としての福祉実践にも同じ状況はありうる。制度の枠にははまらない生活全体を相手にすることの苦しさと可能性の両方を味わうのは、自分たちも同じだ。この仕事には絶えず社会運動としての側面がついてまわる。自分だけで解決できないことを共に悩む者の数が増えてこそ、前進しているという感覚を得ることができる。それを醍醐味と感じられない者は、もっと安定した職場を選ぶだろう。
 まさにパラドックスの中に自分が立たされていることを痛感しつつ、この苦しさの中からのネットワークが生まれてこない理由は何であるのか、まだわからずにいる。何も生まれなければ皆がただ苦しいだけであるはずなのだが、みんなつながろうとしないのはいったいなぜか。