泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

分かち合える「親の会」の新鮮さ

 不登校の子どもたちの親の会をはじめた。まだまだ緩いメンバーシップなので、元不登校とか不登校予備軍とかいろいろ混ざっているが、とにかくはじめた。
 障害児の親の会とは各地で20年ほど関わってきたが、それらはみんな「事業」とともにあった。子どもたちの活動を作り、どこかから資金を引っ張ってくるために組織を作る必要があり、そうしてできた親の会は次第に「支えあい」「分かち合い」から逸れていく。親にしかできないことを絶えずアップデートして事業化できればよいのだろう。しかし「先輩から引き継がれたもの」を更新していくのは、普通の親になかなかできることじゃない。それは「伝統行事」みたいなものだ。受け継がれてきた伝統には逆らえない。
 不登校の子どもたちの親の会は、今のところ完全に分かち合いの場としてある。子が学校に通えなくなるまでの経緯、子どもの行動の変化、学校に対する親の思いなど、静かに熱く語られていく。皆が相互に耳を傾け、尊重しあえる空間が心地よい。話を聞くトレーニングをある程度積んできた参加者がいることも効いている。
 親どうしの話は、そのうちに「支援」論にも近づいていく。学校に行けたことを親が大喜びすれば、行けなくなったときに子は期待を裏切ったと落胆するだろう。「できる」ことに価値を置きつつ、「できる」ことを単純に褒めればよいというのでもない。心のままに直感のままに行う子育ての限界。子の思いへの想像力を深めていくことの大切さ。少しずつ家から出ていくためのステップアップ。皆がこのような壁にぶつかって超える経験を積めれば、親の中には良い支援者が育ちそうな気がする。もちろんそんなふうに育つ必要もないのだけれど。
 子どもとの関わりを省みるのは障害児の親だって同じかもしれない。しかし、障害とはある種の文化や行動様式の違いとして捉えなければ、意味がわからないことがある(知的障害や発達障害においては)。不登校の場合、子どもへの共感的な理解によらなければ安定した親子関係を築けないし、学校に行けていないだけに今の状態の責任は容易に家庭の中へと押し込められて、うまくいかなかった責任が親にすべて降りかかってきてしまう。きっかけは学校に置けたとしても、時間が経つにつれて他の誰のせいとも言えなくなっていく、という怖さ。
 そして、子どもが学校に通えなくなった親は、社会観や学校観の大転換を経験することになる。多数派として適応できていたときは「泣き言」のように聞こえていたことが、不登校になるとどうしようもないことであると理解される。集団をひとつにしようと熱意あふれる教員が、はみ出し者には冷淡であることに気づく。職員室は子にとってだけでなく親にとっても近寄りがたい場に変わる。
 「障害」より「不登校」は突然に訪れやすく、既存の社会や学校のありようをうまく問い直せなければ、結果として子どもに寄り添うことも難しい。そして、見方を変えられればそれだけで生きやすくなるわけでもなく、子どもを肯定的に見やすくなる反面で世間の多数派の親たちのと隔たりは大きくなり、孤独感を強めることにもなる。障害児の親でもやはり同じようなことは言えるけれど、子が「学校に通えていない」というのは「障害」以上に「解決」がありうる課題とされるので、親としてのもどかしさや自責の念も強まりやすい。分かち合う場の重みをいっそう感じる。
 不登校はずっと続くかもしれないし、続かないかもしれない。これから親たちの集まりがどんなふうに移ろっていくのか。学ばされることがとても多そう。