泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

 支援で子どもと公園へ。
 テレビで「公園にいる変質者はこんなふうに子どもを狙っている」という特集を見て以来、公園に来た大人たちからの目に気をつかわざるをえない。ずいぶん地域で認知されてきたと思うし、通報とかされないと信じてはいるが、どうも落ち着かない。子どもどうしが遊ぶ様子を遠くから見守りたいタイミングが不安のピークだ。
 同じ公園に数年も行き続けていると、子どもたちグループの離合集散だとか、遊びの流行の移ろいだとか、空間や遊具の使い方だとか、いろいろ垣間見えて興味深い。
 小学校中学年ぐらいの女子の人間関係はとても複雑で、昔は仲がよかった子と急に関係が悪化していくのをしばしば見かける。自分たちでは関係修復ができない。相談というか愚痴のようなものをただ聞く。愚痴は互いの親どうしの関係にまで及ぶ。自分はいったい何の仕事をしているのだろうとも思う。それでも子どもだって、聞いてほしいのだ。そして、子どもなりに精いっぱい悩んでおり、軽々しい助言もできない。
 親しい友達と遊ぼうと約束して公園にやってくるのだが、そこには気の合わない者だっている。自分とは気が合わないが、友だちとは気が合うようなので、いっしょに遊ぶ展開になってしまう。地域の中でのびのびと遊べる場所は限られているから、他に行き場所もなく、選べるようで選べない人間関係。仲良くできなければしんどいが、無理に仲良くするのもしんどい。もう少し学年があがれば、もっと明確にグループも居場所も分かれていくのだろうか。
 もっとゆっくり話を聞いてあげたかったけれど、担当している子どもの支援をあまり離れるわけにもいかないし。公園にこういう話をただ聞く大人がもっといたらいいのに。