泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

「『軽度』の発達障害」をどう子どもに伝えるか?

 ガイドヘルプで「発達障害」の子と公園に行く。

 そこに居合わせた子どもたちから「お父さんか?」と聞かれる。

 低学年の子どもに「ヘルパー」の概念を伝えるのは難しく、かつ普通学級に通っている子どもと出かけているので、子どもたちにとっては特別な支援が必要なようにも見えていない(漠然とした「違い」は感受されているかもしれないけれど)。

 自分はたいてい「友達だ」と答える。低学年の子は面白がって、いっしょに遊んでくれる。だいたいはそれで終わる。「ふざけたお父さん」と思われているのかもしれない。

 しかし、さまざまな子どもと公園に通い詰めていると次第に「どうやらお父さんではない」とみんな気づき始める。低学年の子は「本当は誰のお父さん?」と聞いてくる。それにも「だから、友だちだって」と返す。また面白がってもらえて、楽しく遊べる。

 ところが、高学年女子ともなるとそうはいかない。3年生といっしょにいたので、油断していた。もう5年生だった。

 「何歳?」「結婚しているの?」からはじまり、「他に誰と誰が友だち?」「仕事はしてるの?」「何の仕事?」「名刺見せて」とたたみかけられ、「どうやって子どもと遊ぶ約束をするの?」「遊ぶとお金をもらえるの?」「自分だったら、子どもどうしで遊ぶほうがいい」などとどんどん本質的なところに迫ってくる。

 「障害」について、低学年と高学年では理解度が異なるから説明の仕方を変えるべき、というようなことは既に言われているが、そこで想定されているのはもう少し「重い」障害の子どもである。だんだんと未踏の地に踏み込んでいきつつある。

 最後は名前まで聞かれ、むかし子どもにつけてもらったアダ名で応えると「違う、本名」とクールに返される始末。フルネームまで確認された。公園に変なおじさんがいた、と保護者や学校に歪んだ伝わり方をしないかどうかが心配でならない。