泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

こんなゼミに意義があるのだろうか。

 週に1度の非常勤講師。
 そもそもこの大学ゼミの講師を引き受けたのは、前任者が実践現場の師匠的存在の人であり、彼が病気療養で休職することとなったからであった。ちなみに、偏差値的にはEランクの下位に属するぐらいの大学である。
 師匠は、とても温厚で紳士的(に見える人)であり、人徳も豊かであり、おそらく学生をびしびし指導しようなどという気はなく、昨年度までゆるゆるのゼミ運営をされてきていた。何をやっていたかと言うと、特に何もやっていなかったようなのである。とりあえず出席した学生たちとしゃべっていたらしい。しかし、そもそも出席者は極めて少なく、開始時間に誰も来ていないことも珍しくなかったそうな。
 突如として休職されることになり、後任を自分に託されたわけであるが、昨年度中のゼミ選択時は後任が決まっていなかったため、学生たちは彼の名前でゼミを選んでいる。シラバスも彼が書いている。
 そして、4月。初回のゼミで学生たちに自己紹介をさせると、1人を除いた全員が特にシラバスに書かれた内容には興味などなく、「単位がとりやすいと聞いた」「書類を出さないでいたら、大学から連絡があって、人数の少ないゼミの中から選べと言われて、何も考えずに選んだ」「先生(師匠)がやさしそうだから選んだ」など言う。
 そして、今日のゼミは5回目。出席者は半数以下である。ゴールデンウィークまでは自分がゼミ発表の方法やレジュメの作り方など説明していったが、成績評価に占める出席点の目安を伝えた2回目から出席は半数以下となった。
 1コマにつき2人ずつ発表してもらうが、今日の発表予定者のうち、ひとりはこれまで一度も来ていない。自分の発表日すら知らないはずである。この学生のことは、誰も知らないらしいので、伝わる可能性もない。だから当然、来ていない。もうひとりの発表者は数回ぶりに顔を出したのでほっとしたら、何の準備もしていない。特に申し訳ないとかいう気持ちもないらしく、「準備してないですけど、それが何か?」みたいな顔をしている。何を聞いても、薄ら笑い。
 では、毎回来ている学生にやる気が見られるかと言えば、全くそんなこともなく、やってきても机の上にずーっとカバンを置いたまま、ぼーっとしている。カバンを背負ったまま座っている学生すらいる。筆箱すら出さない。ずーっと両肘を机について、退屈そうにしている。大教室ではない。小さな教室でのゼミである。みんな自分から2メートルぐらいの位置にいて、そんな態度。
 今日は時間がたくさん余るだろうからと思い、自分のほうでグループワークを用意していったが、上のような事情もあり、結果的に1コマすべてグループワークとなった。自分で言うのもなんだが、ゲーム性もあってけっこう面白いワークである。昔からどこかで機会あれば、やりたいと思っていた。うちの法人で活動している学生たちでやったら、かなり有意義な議論ができるはずだ。
 このワークは対人援助における福祉的な視点を学びつつ、誰もが直面しうる問題について、議論を深めることができるように作られている。専門用語もほとんど排除。専門職志向の学生もそうでない学生もそれぞれの立場から考えるポイントが満載の題材である。議論が停滞しないような「仕掛け」までほどこしてある。「ゼミなのに、なんで講義並みの準備を毎回自分がしなきゃいけないんだ」と思いながらも、けっこうな時間をかけて作った。
 ひとりを除いて障害とか福祉とか勉強とかに全く興味をもたない学生たちであるから、専門について講義をしたって、ほとんど意味がない。そのたったひとりの専門職志向の学生にとって役立つ内容でありつつ、その他の学生の「人生」にとって少しでも役に立つような内容にしなければいけない。
 学生たちが向学心に欠けるこんな状況は、もしかしたら対人援助関係以外の学部学科ではざらにある話なのかもしれない。しかし「福祉」関係の教員はここまでの惨状に慣れていないだろう。仕事として選ぶのではなくとも「福祉」はひとりひとりの生活にひきつけて考えやすくもあるのだから、いま興味がなくても興味をもたせられうるようにすべきではないか。
 そして、用意したワークをやってみた。
 開始からほぼ無言である。ほっておくと5分とか平気で無言である。数秒しゃべって、またすぐ無言である。「仕掛け」を出しても、誰かが1分もしゃべればまた無言である。あーでもないこーでもないと考えるのが醍醐味のワークなのだが「難しい」と言って、机に伏せるようにして、すぐ黙る。議論の中身を書き留めて最後にチームごとに発表するように指示しても、誰一人メモさえとろうとしない。当然、発表はその場で思いついたことをしゃべるだけである。
 そんなわけで、全員ぶっとばしてやりたい気持ちと「こんなゼミいらない」という気持ちでいっぱいだが、ものすごい忍耐力で堪えている。誰かの勉強に役立てるのならば、そのへんのバイト並みの給料でも教えに行こうと思える自分だけれど、これは絶対にしっかり金もらわないとやっていけない。もはや何を話しても、どんな課題を出しても、この状況は大きく変わらないだろう。「教育」というより「おしごと」と思ってがんばろう。