泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

 その子の最悪の状況は変わらないまま続いており、家族も含めた生活全体に甚大な影響を及ぼしている。
 すべて自分が悪いのだが、ひたすら謝り、今後について話す中で、これまでの努力も成功してきた部分も一気に全否定される。さすがに悲しいし、苦しい。
 日々現場で仕事をする中で本人の様子を注意深く見ながら考えてきたことがたくさんあるのだが、月に1度しか接しない医者に言われたことが家族にとってはすべての基礎となる。その次に優先されるのは養護(特別支援)学校の方法論であるが、基本的には養護学校の担任も療育担当も医者の判断に従っている。サービスの利用中の様子を保護者が目にしたことはない。機嫌よく過ごせていると日々接している支援者がみんな確信できていたのに、いやそれは実は不快なことだらけだったに違いない、と今の状態からみんなにさかのぼって推測されてしまう。もちろん、こちらの目に見えにくい部分で、本人に負荷がかかっている可能性はいつでも留意しておかなければならない。外で無理をしてストレスをためて、家で爆発する子はたくさんいる。しかし、現場を全く見ていない者から言われるのはつらい。現場でどんな方法を用いて支援しているかはいくらだって説明できるが、本人の様子は直接見てもらうほかない。
 本人の様子を外からいくら眺めたって気持ちの中まではわからないのだ、「問題行動」や「パニック」が出ていなくても本人はきっと不安を感じているのだ、と言われてしまうと、本人の状態の良し悪しを評価する客観的な根拠はなくなって、とにかく形式的に考えられうる方法をすべて用いてみましょう、という話になっていく。そうしておけば、たとえ失敗しても皆が「最善はつくした」と納得できるかもしれない。失敗時の言い訳のための手続きとしての支援。ただ、最大限の安全策の行き着く先は、もはや「地域」にこだわることなく、本人が安定できるのならば、どこでもいい、ということにもなる。地域の中で生きていくことが本人の認知にとって過剰な負担だということになれば、地域から離れるだろうか。
 少しでも負担を軽減すべく、環境も改善してきたし、本人も折り合いをつけてきた。それでも「こんなことが起こったということは、まだまだ負担が大きいのだ」と言われ、与えられた環境で実現することができないものを求められたとき、どうすればよいのだろう。人の問題、場所の問題、時間の問題。養護学校という比較対象があるだけに、学校と同じだけの環境が実現できない中で、本人が不安定になれば、その原因はみんなこちらに違いないと言われる。たとえ本人が突然泣き出す回数が学校よりもずっと少なくても。
 自分のミスをきっかけに、そのミスとは本来ならば結びつける必要のない記憶の引き出しを本人が開けてしまった結果、だと自分は思うのだが、他の関係者はそう解釈していない。本当の答えは誰にもわからない。これまでのことにまで多様な解釈を招いてしまったミスを、ますます自分で責めてしまう。疲れた。