泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

ヘッドハンティング

 いまだに4月以降のスタッフは確定せず。心がすり減る。
 昨日今日と学童にて新入生と指導員の顔合わせ。昨日の学童は、養護学校生の受け入れがはじめて。子どもはかなり大変な感じだが、現場の受け入れ姿勢は良好。はじめ大泣きしていた子どもも次第に笑顔が出始め、なんとかなりそうな気がしてきた。今日の学童は、昨年度に続いて2人目の受け入れ。1人目が非常に大変な子どもであるのに対して、2人目は障害が軽く、愛嬌たっぷり。生活習慣も身についている。初対面の指導員にとても受けがよく、いちいち1人目の子どもとの比較になる。保護者が「いけないことをしたら、きつく怒ってやってください」なんて言うと、指導員は大喜びで「いい育て方をしている」なんてことまで言う。「問題行動」をしてもきつく叱れない(きつく叱るやり方は間違っていると養護学校教員などから言われて、それにしぶしぶ従わされている)自閉症児とは違って、ぎゃんぎゃん怒鳴り散らしてすっきりできる。
 まあ、学童の一員として温かく迎えてもらえるなら、ひとまずは何でもよいのだけれど。昨年度から通っている子どもに対する風当たりはいっそう増すのだろうか。春休みもあれやこれやとこちらから要望ばかり。何の工夫もなく簡単にできることはよいのだが、ほんの少しの手間がかかることを指導員に頼むとできる限りやりたくない雰囲気たっぷり。だからといって行政の担当課に話を持っていくと、こんどは「なぜ直接言ってもらえない」とすねる。やってらんない。現場がやりたくないという意思である以上、どこからどう話をもっていっても、角が立つ。角が立てば、子どもと加配にはねかえる。
 話は変わる。4月から専従として働くスタッフが養護学校教諭の免許も持っており、この2ヶ月ほどアルバイトで養護学校のスクールバスの添乗をしているのだが、ここに来て養護学校が教員として雇いたいとごねており、非常にうっとうしい。無理に決まっていると一蹴したら、週2日のみで生徒が帰ると同時に勤務を終えていいと言い始めた。それなら、児童中心のうちの仕事には差し支えないだろうと。学校と地域の連携について勉強させてあげたい、なんてことまで言われ、本人もどうしていいのかわからなくなっている。
 養護学校教員になりたいという学生は毎年、一定の規模で出てくるのだし、労働条件だって良いのだから、零細NPOの邪魔をしないでほしいのだ。現在のうちの法人みたいなところで働きたいと言ってくれて、こちらも積極的に雇いたいと思える学生は、せいぜい5年にひとりぐらい。今度採用する学生は高1から7年かけて育てた。高校の福祉の教員になりたいと考えていたところを、地域生活支援に動機づけるためにどれだけ労力を惜しまず関わってきたか。
 明後日、副校長と会うので、そこで最終調整。確認したいことが山ほどある。
 学童では連日「まだ加配は決まらないのか」とせっつかれ、頭を下げ続けるばかり。早く楽になりたい。昨夜見た夢は、自宅が空巣に入られた上に殺されかける夢と、学童で子どもがパニックを起こす夢。安楽はどこに。