泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

それは「ケアホーム」っていう名前なんだ

 近年、自分たちのような障害者支援事業所に対して定期的に行われる行政指導ではやたらに「『虐待防止』の取り組みをしているか」が問われるわけだけれど、その傾向にさらなる拍車をかけるニュースが。Yahooニュースのトップにも出ていた。今夜のテレビニュースでも扱われるのだろう。
<暴行>障害者施設の70歳スタッフ逮捕 警視庁(毎日新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111107-00000032-mai-soci
「何回言ったら分かるんだよ」知的障害者支援施設で入所者に暴行(産経新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111107-00000543-san-soci
知的障害者に暴行、施設運営NPO世話人逮捕(読売新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111107-00000692-yom-soci
入所の障害者に暴行容疑=施設職員の男を逮捕―警視庁(時事通信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111107-00000059-jij-soci
 要するに、利用者4人の知的障害者ケアホームで、夜間帯に勤務していた70歳の世話人が29歳の利用者に暴行、ということ。支援者が相互に支援内容を直接チェックするような体制がとりにくいケアホームで、力量のない支援者が夜間の支援。年齢がいくら高くても優秀な支援者はいる。しかし「言うことを聞かない」という考え方だけでもうアウト。いったい誰の支援をしようとしているのやら。
 ヘルパー事業所でもそうだけれど、支援の様子を第三者が観察できない場合、事業所としては記録や言動から従業者の支援状況を見極める部分が大きくなる。「言うことを聞かない」という従業者の苛立ちを察知できなかったのは事業所の責任。
 ちなみに、運営法人の理念を見たら「この法人は、在宅で介助が必要な重度及び中軽度知的障害者やその家族、その他の手助けを必要とする人々に対して、助け合いの精神のもとに、生活寮において地域に根ざした社会的自立を支援し、全ての人々が健やかに暮らせる地域社会づくりと福祉の増進に寄与することを目的とする。」とあり、内容や言葉の選び方に、今の知的障害者ケアホームを運営することとのギャップを感じずにはいられない。少なくとも若い人が書いた理念ではなかろう。「在宅」や「助け合いの精神」はどうにか好意的に解釈できても、「生活寮」は…。
 憂うべきことがもうひとつ。各種の報道では「知的障害者自立支援施設」「知的障害者福祉施設」「知的障害者施設」などの「入所者」に暴行がなされた、という表現になっており、「ケアホーム」「グループホーム」などの名称やそれらが生まれてきた背景を社会的に広めようという報道姿勢はこれっぽっちもない。記者はそもそもそんなことわかっていないのだと思われるが、これは執筆した記者の無知で済ませてよいのだろうか。ケアホームで事件が起きると、いつも今回と同じような表現がとられる。
 「入所施設」扱いをされることにケアホーム関係者から怒りの声があがっているという声も聞かない(もしかしたら関係者の間ではあがっているのかもしれないが、社会的には全く広まりがない)。今や「入所施設から地域へ」なんて図式にとらわれていないということなのか。知らぬ間にそんな新時代が到来していたとは。