泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

時計の針を戻さぬために

 新田勲さんが亡くなられたから、というわけでもないけれど。
 自分が支援の一部を担ってきた人の施設入所が決まった。また戻ってくる可能性もありうるとはいえ、はじめてのことだ。
 先日は、また別の人の暮らしが施設入所へと大きく傾いていた。しかし、こちらは未遂に終わった。自分がいろいろと口をはさんだことも影響したようだ。どちらに転んでもおかしくなかった。
 うちは子どもの支援を中心にやってきたので、これまで「入所」は身近な話題としてなかった。それでも10年やっていると、子どもも子どもではなくなる。日中はどこかに通所するようになり、週末ぐらいしか関わりがなくなった利用者の家族に突然のハプニングが襲う。そして、通所先も週末に少しばかりの支援をしていた事業所も対応する力がない。そして、「入所」が浮上する。
 このような出来事が地域の中で共有されるのにさほど時間はかからない。近いうちに「やっぱり現実には入所施設しかないんだ」という声が親たちの間でささやかれるようになるのだろう。
 多くの事業所の考えは「ちょっとずつケアホームを増やさなきゃなあ」で、親は「私が倒れたときのために、ケアホームをちゃんと建ててくれる運営法人の通所施設に行けたらいいな」である。「ケアホームで共同生活するにはむいてない人もたくさんいるんじゃないか…」という漠然とした印象も共有されているように思うが、そこから先を具体的に考える者は少ない。
 家の中に入り込んで長時間の支援を提供する・されることに慣れていくには時間がかかる。支援体制を組むにも時間がかかる。制度的にも脆弱で、行政も知的障害者家族に訪れた一大事に対してホームヘルプの活用なんてほとんど考えていない。何かが起きてからでは遅いのだ。しかし、みんな腰が重い。
 重度訪問介護も含むホームヘルプの充実が急務と思うが、かくいう自法人にその余力があるのかと問われれば苦しい。知的障害や自閉の方に特化した形でホームヘルプをしていく場合のマネジメントモデルが描きにくいというのもある。「身体障害者の自立生活支援→知的障害にも拡大」のパターンはなんとなくイメージできるのだが、はじめから知的障害の方の長時間支援をするつもりでの事業化というのは、どう踏み出していくのか。定員があって、開所時間が決まっているような支援よりもはるかに高度な調整能力が必要なのだから、「これならできる」と事業所に思わせるような方策を示せないと、なかなか資源は増えないのだろうと思う。