泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

海の向こうから来る敵と闘った軌跡

アシュリー事件―メディカル・コントロールと新・優生思想の時代

アシュリー事件―メディカル・コントロールと新・優生思想の時代

 圧倒される本である。
 この本を書いたのは、海の向こうの事件に心を揺さぶられたひとりの「母親」だ。
 母親が障害をもつわが子のことを書いた本は多い。研究者が海の向こうのことを書くことも多い。母親が海の向こうで体験したことを書いた本もちらほらあるが、それらのいずれでもない。こんな本が生まれるには、いくつもの条件が重ならなければならない。
 その「事件」は、アシュリー事件と呼ばれる。事件の核となった出来事は、本の帯からそのまま引用すれば短いものになる。

2004年、アメリカの6歳になる重症重複障害の女の子に、両親の希望である医療介入が行われた――
1 ホルモン大量投与で最終身長を制限する
2 子宮摘出で生理と生理痛を取り除く
3 初期乳房芽の摘出で乳房の生育を制限する――。

 この事件を追いかけるには、「BGM」として偶然に聞いていたCNNで事件を知ることができるぐらいの語学力はいる。倫理学者が医師が書いた論文だって読めなければいけない。出版関係者とつながれるぐらいの人脈を作る能動性も必要だ。
 しかし何よりも、国内ではほとんど報道されることもなかったひとつの事件がいつかは世界中に暗い影を落とすかもしれないと察知する鋭敏さと、その後の経過を追い続ける執念がなければいけない。関係者による発言や主張のわずかな変化を見逃さずに、新しいタイプの優生思想の発生と拡大を指摘するには、膨大なテクストを読み込んで、きれいに整序していくことが必要だ。その思想は、静かに巧みに広められていく。テクストのわずかな見落としが、致命傷になりかねない。
 事件についての一次情報として引用・参照されている記事、レポート、論文などは、みんなインターネットを通じて得られたものである。関係者のブログ記事も重要な資料であるし、むしろ多くのテクストはインターネットを通じてしか得られなかったと言うべきだろう。各章末の脚注には膨大な数のURLがずらりと並ぶ。これは多くの専門書には見られない光景であるが、「それがどうした」と思える。
 ネット経由で得られたテクストが事件にまつわる全てのものであるのかはわからない。それでも「これが集められる可能な限りだろう」と思えてしまうぐらいの説得力が感じられるのは、これが「研究」ではなく「ひとつのケースを発端として優生思想が広められることを決して許さない」という明確な意思から書かれたものだからだろう。重症児の尊厳を脅かす思想が、多くのごまかしや矛盾を含みながら現実に反映されつつあることを読者に訴えるために、得られる限りの情報を集める。信念に忠実であることが、何よりも内容を豊かにしていく。
 事件を追い続けてきた著者のブログには、さらに膨大な情報が盛り込まれているし、障害学関係者にはよく知られているわけであるが、それがコンパクトな1冊の本にまとめられたということは、これから本格的に海を渡ってくるかもしれない思想に自分たちが抗っていくために、価値あることだ。「この本を読んでください」と言って、味方を増やせばよいのだから。著者の仕事に敬服するとともに、生活書院にも感謝。