泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

[日誌]障害児の学童保育所の利用調整がとても難しいということについての愚痴

 この地域に暮らす養護学校生は地域の学童保育所に通うことになっている。自治体の単費事業である(つまり自治体の負担は大きい)。いわゆる障害児のための学童、というものがないかわりに、一般の学童保育所に通うことができる。近隣の地域では全く存在しない制度のため、このあたりでは有名でもある。他地域の議員から問い合わせも頻繁にあるらしい(担当課は「金がかかるからやめておいたほうがいい」と回答しているそうだけれど)。
 現在、障害「児」が毎日使える福祉サービスというのは、あまりない。「児童デイサービス」「児童タイムケア」など制度としては存在するが、利用人員や単価の問題が大きく、田舎ではほとんど実施不可能な制度である。保護者が共働き(あるいは母子家庭など)で毎日の放課後ケアが必要な家庭にとって、学童保育が使えることは本当に貴重である。この地域には学齢児が使えるショートステイやガイドヘルプもあるけれど、もともとこれらは毎日の利用を想定したものではないので、内容として無理がある。
 学童保育所は各小学校に併設されている。そのうちのひとつの学童に4月から新入生が通うことになった。その学童では、はじめての養護学校生受け入れである。正式な利用決定がなされたのは、3月に入ってから。学童は公設公営だが、加配スタッフの派遣は、うちの法人から。
 貴重な制度だが、問題は山積みである。たとえば、養護学校終了後どうやって地域の小学校の学童保育所まで行くのか? 過去にもこれが悩みの種だった。養護学校のスクールバスはこちらの都合のよい場所に止めてもらえるわけではない。学童保育所に最寄りのバス停から歩いても、30分とか1時間とかかなりの時間がかかる(子どもがまっすぐ向かってくれず、2時間とかいうこともあった)。それでも長時間歩いて済む話ならば、それは体力的な問題でしかない。子どもの体力を甘く見ちゃいけない。担当課は途中の行程も学童の範囲内として対応してかまわないと言ってくれた。うちから派遣している学童保育所の加配スタッフがバス停まで迎えにいって、いっしょに歩けばいい。
 しかし、本当に困るのは、本人とスタッフがいっしょに学童まで行くのが困難である場合である。どう困難なのか。自閉症かつ多動で子ども自身の行動障害が激しく、スタッフと手をつないで歩く、ということが難しい。環境の変化に敏感に反応してパニックを起こしてしまう。簡単に車道に飛び出せるような歩道を、車が危ないものだとも思っていない子どもと歩くリスクは大変に大きい。
 今度の新入生はまさにそういう子であり、今回ばかりは車での移動を考えるしかなかった。最悪の場合は毎日タクシー利用。うまくいけば福祉移送サービスの利用ができるかもしれない。一方で、スクールバスを本当に降りてくれるのかどうか、一度車に乗って、そこから降りてくれるかどうかなど、これから試行錯誤をしなければいけないこともたくさんある。
 そして、そんな子どもなので、いっしょに過ごすスタッフは技術と体力がなければつらい。しかし、養護学校終了時から18時まで働けるアルバイトというのは本当に見つからない。先月末から今月半ばまで必死になって探していたのは、この学童の加配スタッフだった。本当は1人が毎日入ってくれるのが子どもにとっての理想だけれど、それはあまりに難しい条件である。あちこちに頭を下げまくって、3人の主婦が少しずつなら手伝ってもいいと言ってくれた。
 年齢的には50代から60代の人たち。歩いて回れるぐらいの近隣の人たちである。体力的には厳しい気もするが、18時までという条件だとどうしても年齢層が上がることは避けられない。子どもが自立しないと、そんな時間まで家を空けられない、というのが一般的な主婦の発想だからだ。探すなら学生のほうがいいんじゃないかと言ってくれた人もいたが、大学生が入るには開始時間が早すぎるし、たとえ人が見つかったとしてもおそらく日替わり5人体制になり、子どもの負担も大きくなりすぎる。少し年齢が高くても、学童についてしまえば子どもといっしょに走り回る必要はないし、この方たちにお願いしよう。こちらは雇う側だが、ものすごく腰が低くなる。少しでもイヤになって辞めると言われたら、代わりは簡単には見つからない。
 まずは自分自身が子どもから信頼されなければいけないので、現在子どもが通っている保育所に足を運び、子どもと接しながら加配保育士から話を聞いた。時間が空いた夜には家庭訪問も繰り返したので、向こうからこちらに近づいてきてくれるようにもなった。4月当初はまだ養護学校がはじまっていないため、朝8時30分から18時までの利用になってしまう。いきなりこんな長時間利用をしたら、きっと悪いイメージを抱いてしまい、二度と学童に通ってくれなくなるため、入学後と同じ時間帯で「ならし保育」ができるように、子どもの祖父母などの協力も得られるようにした。
 次に、主婦3名の教育である。子どもについての情報や学童での仕事がどんなものか、資料をまとめ、事前にそれぞれの主婦に手渡した。子どもといきなり見知らぬ者と学童に行けというのは無謀に決まっているので、全員と保育所に行って子どもと接し、その次に家庭訪問するスケジュールを組んだ。
 そして、今日。その3名との保育所訪問であった。行ってみると子どもは午睡後にパニックになり、失禁するなど絶不調。おやつを食べるために部屋に戻るという環境の変化を受け入れられず、横になって泣き叫ぶ。保育士が声をかければかけるほど、思うようには動いてくれない。他の子どもたちは慣れたもので、何とも思っていないようにふるまっている。集団に同調させたい大人たちはみんなで悩んでいる。一番苦しい思いをしているのは、もちろん泣きっぱなしの本人であるに違いない。
 保育士も園長も「大変だ」という話ばかり強調する。「加配の保育士が先月倒れて・・・」「あと1ヶ月で卒園と思って、加配が本当にがんばってくれた」とかそんな話ばかり出てくる。2歳から通っていれば、きっと子どもの可能性が広がった喜びもあるはずだが、そういう話はしてくれない。結局2時間ほど滞在したが、主婦3人のうち1人の表情がどんどん暗くなっていく。そんな雰囲気を察したのか、子どももその人のところには近づかない。嫌な予感はしていた。
 終了して、保育所を出るなり「辞めたい」「私には無理」「こんなに大変とは思っていなかった」「他の人を探してほしい」。さらにもう1人も「他でボランティアをしたいところができた」「体力的にきつい」。
 雇われた支援者が逃げることは本当に簡単である。「どうしても辞めたい」と言えば、それで終わり。しかし、当事者は支援が必要であることからは決して逃れられない。
 そして、支援者を雇う者もまた逃れられない。辞めたいという者にさらに頭を下げて、つなぎとめ、次の人が見つかるまでどうかがんばってくれと言い、明日からまた人探しのはじまりである。
 学童の指導員の労働条件というのは、多くが相当に悪い。次年度、この地域の学童は指導員、アルバイトがほぼ全とっかえである。「放課後のみ」という労働時間の中途半端さから給与が安くなるため確立した仕事にはならず、ゆえに指導員の年齢層は高くなり、指導員自身の親の介護問題などもあいまって、人の入れ替わりが激しくなる。若い世代をきちんと雇用できる仕組みを構築しなければ、今後も激しい人の出入りが続くのだろう。
 これは、知的障害分野の居宅支援系事業所にも言える問題だ。日中はほとんどの人が養護学校や通所先に通っているのだから、仕事がない。グループホームなどでもやって夜間に働けとでも言われるだろうか。今の制度・単価でそんなことをしたら、もっと労働条件は悪化する。都市部では独自に加算しているところもあるが、田舎では難しい。日中活動の場を作れと言われるだろうか。これからゼロから始めるとしたら地域活動支援センター? 成人の日中活動と児童の放課後ケアだと労働時間は重なってくるのだから、人はそれぞれで雇うことになり、少人数で効率的に働けることにはならない。持つべきノウハウだって、全く違う。介護保険や身体障害・精神障害の方のホームヘルプ? 介護保険を除いて、すべて事業者指定は受けてきたけれど、すでに地域の中での役割分担というのができていたら、どうすればよいのか。この地域だと身体障害の方のホームヘルプは社会福祉協議会がずっとやってきている(利用者の満足度がどうかは全然知らないけれど)。精神分野は利用者の人数が限られている。精神障害をもつ人のすべてがホームヘルプの利用になじむわけではない。
 そんなわけでとにかくうんざりしていたところに、夜になって自治体の福祉課長が異動という連絡。長年にわたり課長をつとめ、ずいぶんこの地域の障害者福祉を前進させてくれた。昨年に水道局からやってきた係長が課長に昇格らしい。新係長は財務課からやってくるそうだ。10月からの大きな制度変化に向けて、これでまた見通しが立てにくくなった。どの程度まで自治体独自の努力を期待できるだろうか。「地方の時代」は、常にこうした不安定さにさらされている。
 この連絡を受けて自暴自棄気味になり、早々と帰宅。気持ちが向けばとも考えて仕事は持ち帰ってきたが、全くやる気起こらず。