泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

 昨日からノドをやられて、どんどん声が出なくなっている。頭痛はさっきから少し落ち着いた。下痢は治ったんだかどうなんだか。消化のよさそうなものを1日1回食べる程度。明日の行動援護が終われば、もう少し食べても大丈夫だろう。もし明日、もっと声が出なくなっていたら、いくら言葉に頼り過ぎない支援をしているとはいえ、少し利用者との意思疎通に不安を感じる。
 学童に新入生が初登所。予想通りすぐ馴染んだ。保育所の友達がたくさんいるし、まったく心配ない。加配を連れてきた自分のところに、ひょこひょこと子どもがやってきて「○○ちゃんは、普通」と言う。加配がつくというのはたぶん「普通じゃない子」なのだろう。彼女なりに疑問をもったに違いない。とても身辺自立の進んだ子だし、社交的でもある。実際、加配の動き方は他の加配と全く違うものになることが想定されてもいる。
 言葉が限られていても、工作ができなくても、ひらがなが読めなくても書けなくても、ここで子どもどうしが遊ぶのには関係ない。いっしょに仲良く遊べる子は「普通」。保育所以来の「遊び」の中で育まれた関係性がどのように続いていくのか、をこれから見ていくことになるのだろう。
 養護学校の新小学1年生が5名と最終確認。加えて1月に2人転入、4月にも1人転入。人口およそ35000人の自治体で、こんな勢いの地域はあまりないはずだ。長期休暇の活動など、熱心にやればやるほど、参加率はあがる一方。需給調整が追いつくかどうかは、4月からの学生スタッフ確保次第。すでに大学内でチラシ巻いたりしているらしい。何度も書いてきたけれど、学生が「楽しさ」ばかりを売りにして、活動をアピールしたがることに、内心かなり苛立つ。楽しく大学生活送りたいだけなら、別にほかの事でもいいのに。こういう自覚の無さがボランティアコーディネーション論にも「マーケティング」なんて言葉をわざわざ招きよせるのだと思う。あえてそんな言葉を使う必要ないはずなのに。