泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

誰の困り感に寄り添うのか

旦那(アキラ)さんはアスペルガー

旦那(アキラ)さんはアスペルガー

 法人スタッフが読んでいるというので買ってみたが、自分の読後感は悪い。支援者が誰の困り感に共感しているのかによって、このマンガの読み方は変わってくるだろうと思う。
 著者の「夫」がアスペルガー。描かれている多くのエピソードで「困っている」のは著者や周囲の人々である。それはそれで真摯に受け止められるべき問題であるのだけれど、結果として「振り回される周囲」ばかりが強く浮かび上がってしまっているように思う。特に、マンガの間に挿入される監修者のコメントは、しばしば「発達障害」を実体化させる歴史的文化的条件に触れつつも、現存する社会の側の常識にどっぷり浸かって抜け出そうともしない。
 子どもの欲しがったゲームを買い与えてしまったのは、優先順位のつけられないアスペルガーのせい。
 段取りを考えずにマイペースに物事を進めてしまうのもアスペルガーのせい。
 仕事関係の知り合いが欲しがっていた炊飯器をプレゼントして戸惑わせるのもアスペルガーのせい。
 子育てについてマニュアル以上のことを期待できないのもアスペルガーのせい。
 もちろん共に暮らす者にとっては、個別の出来事の合計以上のものがあるのだろうけれども、このような切り取り方をしてコメントをつけられたら、何もかもが「障害」化されてしまうだろう。結果として、世の中の「困った人」はみんな「治すべき」対象とされていく。監修者は「治療法」と題した本を複数書いてきた人でもある。
 監修者のコメントがなければ、単純に「妻の立場からはそう思うよなあ」と感じるだけで、ここまで嫌な気持ちにはならなかったはず。監修とか不要だったのでは。マンガだから学生スタッフたちの目につくところに置こうと思っていたが、却下。