泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

コスト論の矛先

自閉症の社会的コスト(A Fledgling Child Psychiatrist)
http://homepage3.nifty.com/afcp/B408387254/C174902512/E20070406010546/index.html
 ここで言及されているような研究の成果をもとにして、「これだけの社会的コストをかけて支援をする必要がある」となるのか、「そんなにコストがかかる支援をするのはけしからん」となるのか、の分岐点はどこにあるのだろう。「そんなにコストがかかるなら、そのコストを減らせるようにしよう」というのはすごく穏当なようで、やはり危うさもあるだろうし。
 やや自嘲気味に言えば、これだけ自閉症の方がたくさんいることで飯が食えている支援者もたくさんいるということも忘れられてはならないのだろう。それを社会的なベネフィットと呼んでよいのかどうかは知らない。自宅がビデオライブラリーになるぐらいにディズニーの作品を買い揃える彼、次々とトランプを買ってきては絵札のみを切り刻む彼、毎日帰宅途中にコンビニで特定の商品を買うと決めている彼女、家庭用ゲーム機のハードを買ってきては気に入らないことがあると怒ってぶっ壊す彼(と、すぐに新しいのを買ってしまう家族)・・・と、消費もいろいろあると思うのだが、「ベネフィットだってあるよ」という反論自体に空しさを感じてしまって、どうも熱心になれない。