泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

アンチ一般化の方法

 疲れた。ケース会議やら行政職員からの相談事やら物品購入やら訪問やら。目を閉じれば、眠るまでに1分はかからない。たぶん。
 ケース会議で「この人はすごい」と思っていた訪問看護師さんに誉めてもらえて、少し気持ちは上向き。まあ、ここのところ元気のない自分に自信をつけさせようと思ってくれていたのかもしれないけれど。
 昨日の日記を、すごい数の人が読みに来た様子。1日経ったが、それほど付け加えることもない。細かい情報が得られない中で言えることなんて限られている。せいぜい言えるのは、世間の反応に対してのみ。結局「なんでそんなあぶない奴がうろうろしてるんだ」という紋切り型の主張が強まっていることから、みんな「前科」「再犯」を問題視したいのだなということはわかった。
 昨日書いたように、事件について考えられうる理由のすべてが批判にさらされる恐れがあると思うので、あれやこれやと原因の詮索をすることには危険性がある。しかし、知的障害をもつ人たちとその行動について、単線的な理由づけの過剰な一般化が進んでいくのであれば、もっと個別具体的に生活や人生というものを考えることの重要性は強調したほうがよいかもしれない。推測はできるかぎり抑え込んで、ありうる「問い」だけをつらつらと。

 彼に知的障害があるということはいつわかったのだろう。
 彼の家族はそれをどう受け止めただろう。受容できただろうか、できなかっただろうか。彼にはどんな接し方をしてきただろう。
 学校はどんなところに行っていたのだろう。普通学校だろうか養護学校だろうか。
 当時の教育、療育はどんなものだったろうか。養護学校が義務化されたのは、彼が中学生ぐらいのときか。知的障害をもつ高校生に対する療育的支援の水準はどのくらいだったろうか。小中学校が普通校なら、教員の専門性なんて、いま以上にひどいものだったかもしれない。思春期の難しい時期など、どう乗り越えたのだろうか。
 いつ頃から子どもに対する関心は強まったのだろう。それを周囲はどう受け止めたか。ずっと否定的だったのか。途中までは肯定的だったのか。「子ども好きで微笑ましい」と思われていた時期もあったのか。
 卒業後にどこかに一般就職をしたのだろうか。就職していたとして、それはどのぐらい続いたのだろうか。辞めたことがあったとしたら、その原因は何だったろうか。それも何かの事件が原因だろうか。周囲との人間関係はうまく築ける人だったのだろうか。職場内に相談相手はいただろうか。一度辞めたら、20年ほど前なんて相談支援も就労支援も皆無に等しかっただろうし、再就職はどのように行なわれたのだろうか。もし再就職に失敗したとしたら、本人はそれをどう受け止めただろうか。誰しも得意な仕事や苦手な仕事があるが、彼の強みはどこにあったのだろうか。
 あるいは卒業後すぐから福祉的就労だったのだろうか。だとしたら、どんな方針の作業所に行っていたのだろうか。過去に事件を起こしたとき、作業所等すらも辞めなければいけないことはあったろうか。作業所を転々とすることはあっただろうか。そうだとしたら、本人はそれをどう感じていただろうか。家族とはいつから離れることになったのだろうか。施設入所などが検討されたことはあったのだろうか。本人はどんな生活を望んでいただろうか。
 精神科への通院はいつ頃からだろうか。どのような診断を受けていたのだろうか。服薬はあったのだろうか。その薬は体に合うものだったろうか。パニックは日常的にあったのだろうか。どんな場面で起こりやすかったのだろうか。
 過去の逮捕はいつからいつにかけて、どのぐらいの間隔で捕まっていたのだろうか。最後の逮捕はいつで、どのくらい事件は起きていなかったのだろうか。どのような条件下で生じやすかったのだろうか。それを周囲はどう評価していたのだろうか。「未成年者誘拐」とは言うが、本人にとってはどのようなイメージだったのだろうか。今回のような行動の兆候は、過去にあったのだろうか。これまでも仕事のストレスを訴えたことはあっただろうか。「仕事のストレス」という言葉の意味は、我々の使う「仕事のストレス」という言葉の意味と同じであろうか。
 すでに逮捕を繰り返していたであろう彼がいまの作業所とグループホームの利用契約をするに至った経緯はどんなものだろうか。相談機関などが間に入ることもあったのだろうか。利用者本位を強調するようになった障害者福祉の中で、本人の就労に対する要望はどのくらい受け止められていただろうか。それを汲んでくれる現場だっただろうか。余暇等のサービス利用はあっただろうか。なければ、週末など何をしていたのだろうか。グループホームのほかの入居者や世話人との関係は良好だっただろうか。「問題行動」を弱めることを支援者は目標としていただろうか。そのための知識や技術をもっていただろうか。
 そして、実刑を受けている間、どのような支援があっただろうか。刑務所の印象はどうだったろうか。

 眠さで朦朧としていても、このぐらいはばーっと思い浮かぶ。自分たちの仕事というのは、こういう問いのひとつひとつに注意深く向き合って、はじめてものが言える。一般の人々にそんな慎重さを求めても難しいのはよくわかっているつもりだ。それでも、大きな事件や事故が起きるのはたくさんのボタンの掛け違え。ここで「社会」の複雑さに気づけなければ、何ひとつ前向きな教訓など引き出せないに決まってる。
すると浅はかな一般化を避けた報道へと向かおうとすれば、このような人の暮らしの細部にまでずかずかと踏み込まなければ何も考えようがないことを、全国ネットのニュース等がネチネチと追求していくことになるのだろうか。こうした多様な問いがあるのだということについての想像力だけ世間が持てれば十分なのではないかとも思うのだが、ああ、もう眠さで頭がまわらない。寝る。