泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

[ニュース]他害

「仕事でストレス…」3歳児を歩道橋から投げ落とす
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070117-00000011-yom-soci
 たったこれだけの情報では本人の障害のことも、仕事の内容も、必要とされた配慮も、作業所職員の関わりも、何もかもわからないが、とにかくなんともやりきれない気持ちになる。以前、自分の実家の近所でも同じような事件があった。そのときは子どもが亡くなった。
 他の新聞社サイトの情報など見ると、過去には「未成年者誘拐」を繰り返して、実刑判決を受けたこともあるようなので、きっと周囲の支援者は不安をもっていただろうとは想像できる。それでも事は起きてしまった。被害者側の驚きと怒りは相当だろうが、無念に思っている支援者もまた多いだろう。
 「知的障害・精神障害であるがゆえ」と理解され免責される行動の境界は、社会的に決まる。そして「知的障害・精神障害のせい」なのか「本人の性格のせい」なのか、というような問いかけに正しい答えはない。明確な線引きは困難で、これは強みにも弱みにもなるはずだ。しかし、誰かを傷つけたときに社会は容赦なく、そんな線引きにさえ関心を失う。考えられうる理由のすべてが批判にさらされる。「障害を言い訳にするな」と言ったかと思えば、「障害者は危険だ」とも言う。家族だって、支援者だって標的になる。
 因果関係の追及は「これから」に向けたものでなければ意味がない。そんな議論が起きるかどうか。

追記:こちら↓のほうが情報として少し詳しいか。
http://www.asahi.com/national/update/0117/OSK200701170042.html