泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

[近況]仕事やら研究やら

 まだまだ落ち着かない状況が続いている。自立支援法は週明けに請求事務の説明会。うちの事業の範囲ならばそれほど極端には変化しないはずだけれど、通所施設関係の混乱ぶりは予想できる。きっとその場で自由に質問されたら都道府県としても回答できる自信がないのだろう。質問は事前に申し込み用紙に記入して提出。こんなつぎはぎだらけでまとまりのない制度の運用について、はたして2時間半でどこまですっきりできる説明をしてもらえるか。不謹慎だが、見ものである。
 学童保育の人探しは小康状態。一方、子どもは加配スタッフのちょっとした対応の違いでパニックを起こして1時間ほど泣き続けたり、失禁したりしている。本当に驚くほど些細なことでしかなく、一般の人々には理解されがたいだろうが、本人にとっては重大事なのだ。できるだけ一貫した対応を目指しつつも、人が変わればわずかな変化までもずっと避けて通ることは難しい。ひとりを専従雇用できたら悩まずに済むことも、アルバイトが増えれば悩まなければならない。おかげで電話をかける回数が増える。
 そして、2ヶ月ほど前から少しずつ準備は進めていたが、6月から新しい事業を開始する予定になっている。何をするかというと、就学前の子どもと親が集える場所づくりをする。福祉センターの一室を使って、週3日ほど開所予定*1。まずは3月まで保育所の所長をやっていた人を雇ってスタートすることになっており、現在は雇用条件とか物品購入とか広報などについて協議中。
 これは障害をもつ子どもに利用を限らない。親の障害受容もできていない段階で「障害」を強調すれば利用のハードルを上げてしまうだろうし、多様性を認め合える環境を大切にすることで個性を打ち出していくつもり。子育てサークルなど同様の場は他にもたくさんあるのだから、うちらしい理念のもとに進めていく。こう言いきれるのは、子育て関係の社会資源が複数存在するおかげだ。居宅介護のほうは他に選択肢がないのだから「個性」なんて言っていられない。
 そして大学院のほうは、6月末のゼミ発表に向けて早くもプレッシャーを感じる日々。1年ぶりの復帰とはいえ、D4にもなって恥ずかしい発表はできない。自分のやっている仕事の複雑さと(不)可能性に整理をつける前提として、社会福祉実践の「対象論」に社会学的な近代化論をからめた内容を模索中(こんだけ現場にべったりの仕事をしながら抽象的な発表をして他の院生から冷ややかな目で見られるのはいつものこと)。焦る必要はないが、なんだかまとまらない。

*1:独自にやる金なんてどこにもないので、自治体からの委託事業。国の補助もつく。