泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

「パパがいっぱい遊んでくれていいね」


 子ども(支援の利用児)と公園へ。
 遊具を使って全力で遊んでいると、2〜3歳くらいの女の子が自分に近づいてきて、無言でたくさんの木の実をくれようとする。とてもなごむ。すぐにお礼を言ってありがたく頂戴する。そのときは気づかなかったが、後になってよく見たらひとつだけ木の実じゃない。ポイフル…?
 それはさておき、間もなく女の子の母親がやってきて、お礼を言われる。地面から拾ったものではあろうが、こちらがお礼を言われるのもなんだか不思議だ。さらに続けて、子ども(利用児)に向かって言う。
「パパがいっぱい遊んでくれていいね」
 自分が父親と間違えられるのはもはや慣れっこなのでどうということもない(この日も数回あった)。実際の父親とも同世代だ。しかし、なんだかその母親の言い方がうらやましさをにじませているようにも聞こえ、少し心にひっかかったままでいる。物静かな雰囲気で、子どもとはじっくり向き合おうとする様子がうかがえる母親だった。そんな印象が言葉の真意を確定させてくれるわけでもない。
 あの言葉は誰に向けられたものだったのだろう。何の他意もなく、その子に向けられたものであったならよいのだけれど。