泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

 地元の子ども・子育て会議に出席。
 保育に関わる資源の必要量について試算が出されてくる。国から必要量を推計するための計算式が出されているようだが、現状とかけ離れた数字が続々と並ぶ。極端に少なかったり、逆に多かったりする。当然、補正をかけなければという話になる。しかし、どう補正をかけるのが適切であるのか、はみんなわからない。
 こうして地域ごとに「まあ、このへんにしとこう」とはじきだされた数字が集められて、これから整備を必要とする量として国が目処を立てていくのだとすれば、大丈夫なのだろうかと思う。出席者一同、何とも言い難く、行政とコンサルがはじきだした数字をひたすら聞くのみ。
 会議終了後、出席している障害児の保護者から質問を受ける。「話に出てきた『ショートステイ』は、みんながお泊りに使っているショートステイのことか?」。子育て支援施策にあるショートステイ障害福祉施策にあるショートステイは別物。機能は重なるが、同じでもない。わからなくなって当然。これが「子育て支援施策」の議論に障害児関係者が加わったときのギャップ。
 後半の論点で障害児の観点からまとめて語ろうと思ったら、「時間がないので、あとは次回に」。何も役に立てずに終わった。
 その後は、理事会も含めて事務所でずっと人と話してばかり。6時間。当事者だけでなく支援者も含めてガス抜きというか「まったくの世間話も含むような話をただ聞いてもらうこと」を求めており、本質的な問題解決とはかけ離れた次元のやりとりであっても大事にしなければならないのだと皆から教えられるのだが、そこは自分が最も苦手な領域。
 朝まで生テレビ集団的自衛権。みんなもうちょっと静かに話そう。