泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

自閉症の障害学がはじまる

 今日、書店で見つけて、いま風呂で半分ほど読んだ。

自閉症の社会学―もう一つのコミュニケーション論 (SEKAISHISO SEMINAR)

自閉症の社会学―もう一つのコミュニケーション論 (SEKAISHISO SEMINAR)

 これはすごい。
 自閉症研究にも障害学にも足らない(ように自分には思えていた)問題意識を、しっかりと社会学軸足を残しながら深めている。自閉症研究に社会学的な視点がもちこまれるのは、これまでもっぱら「自閉症の社会的構成」を暴露しようとする文脈の中だったように思う。それはそれとして有意義だけれど、ずっと物足らなさを感じていた。自閉症者と定型発達者の分断がいかに社会的に生み出されたのかをアピールしても、行き着く先は「私たちは連続している」ということに過ぎず、問い直されるものが小さすぎやしないかと。
 5章まで読んだ限りであるが、著者は人々によって自明に思われている「普通」の社会がいかに多くの前提から成り立っているのかを、自閉症理論社会学的な検討を通じて丁寧に描き出している。そこで活用されている社会学理論はもっぱら基本的なものばかりだ。入門書に書かれている程度の内容でしかない。しかし、それが自閉症の例を用いることで、これまでとは違う入口から「社会(学)」を捉えなおすことに結びついている。ギデンズの「構造化」とTEACCHの「構造化」が並べて説明される本がかつてあったろうか。ニキ・リンコとデュルケムをつなごうとする本がかつてあったろうか。
 もし自閉症と日ごろ関わっている者が社会学を勉強したいと思ったら、どんな入門書よりも先にこれを読んだらいいし、社会学や障害学を学ぶ者が自閉症について考えたいと思ったら、必ず読んでおくべき本になるだろう。まだまだ第一歩とは思うし、内容の多くは問題提起にとどまっているが、この本から自閉症の障害学が始まっていくんじゃないだろうかと思う。自分が最初にやりたかったのだけれど、こんなに幅広くわかりやすく書く力は全くない。焦点を絞り込んで、いつか深めてみたい。
 著者は自閉症児のパパで、50歳の理論社会学者。こういうものを最初に書くのは、若手の障害学者あたりだろうと予想していたのだが、読み始めてすぐに「これは『研究者』として中途半端に自閉症の人々と接するだけの者には書けない」と気づいた。ここにも「自閉症の障害学」の困難さがあるのだろう。