泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

[近況]

 冬休み中のウィンタースクールはじまる。が、自分は学童。月曜からの5日連続学童が終わった。
 理念も技術も知識もない大人たちとの仕事にひどく疲れた。この疲れは今後どれほど続くのかさえわからない。それでも、子どもにとっては良好でありうる場所。大人が余計なことさえしなければいい。ここ数日は余計なことをたくさんされた。その自覚もないままに。
 この仕組みを残すためにかなりの努力をしているのだが、自分で自分の首を絞めているようなものだ。しかし、大人どうしの関係がどうであれ、子どもには関係ない。こちらに向けられた冷ややかな視線だって、子どもには関係ない。子どもはここを楽しんでいるし、ここで成長している。限界までがんばろう。ただ、この仕事はひどく孤独だ。
 もうすぐクリスマス会。今年度は就学前の子どもも含んで行う。小学生以下と中学生以上の二部制。3歳や4歳の子どもの家に確認の電話を1件ずついれながら、保護者の声がみんな若く楽しそうで、少しほっとする。これをきっかけにして、どう展開できるか。まだまだ就学前のニーズは十分に見えていない。療育的なことなどやりたいが、また違った専門性が必要となるし、悩ましい。このあたりの早期療育はどこもあまり評判がよろしくないのも気になっている。まだまだ幼い子どもの保護者から高い評価をもらうというのは、期待水準が高いだけにとても大変なことだと思うが、どこも療育しかやっていないようなところばかりなので、その点での弱さもあるような気がする。
 先日、知的障害者福祉研究業界では著名な(かつとても障害児の保護者から評判のいい)某教授とお会いする機会が(ちょっとだけ)あったのだが、「発達」については大学の社会福祉教育の中で全然できていないよね、というところで大いに共感しあった。つまりは使えないよね社会福祉士、という話。