泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

[近況]田舎の再分配

 朝から人としゃべりっぱなし。子育て支援サークル代表、養護学校副校長。午後から学童に入り(昨日からもう短縮授業)、終了後に自治体へ。残業中の行政職員と2時間ほどまたしゃべる。
 自分にしかわかっていない事実というのがたくさんあり、それらを地域のキーパーソンたちに伝えられたことは、これからの展開にはかなり有益だったかもしれない。こう書いてもなにがなにやらだが、ここに書けないことばかりなので。匿名で書いていても、少し不安はある。
 障害児加配の雇うための金がないと言っている学童で、ほんの少しばかり利用料(実際の名目は「協力金」)を上げるだけで、ものすごい収入増になることがわかった。考えてみれば当たり前だが、あえて計算したことがなかった。近隣の自治体よりも今の利用料は安い。人口35000人の自治体に、学童に通う子どもが450人。低所得者に配慮した金額設定をしつつ、全体には月2千円ぐらい上げるだけでも相当なものだ。フルタイムで働いている保護者にとってみれば、大きな値上げにはならない。就労証明だけ確保して、実態として働いているかどうか怪しい保護者にとってみれば、抵抗感はあるかもしれない。が、その場合はもともと学童に対する深刻な必要性がない。
 将来的には、と自治体担当職員は考え始めていた。負担増に伴う収入増によって必要なところに金がまわる。障害児加配にもまわるし、不安定な労働条件であるがゆえに入れ替わりが激しい指導員にもまわる。小さな再分配。なんだか自立支援法の応益負担導入を見ているような気もする。ただ、大きく違うのは、この動きが現実のものとなると、このあたりでは共産党公明党あたりが反対して、きっと簡単にはうまくいかない、ということ。そして、その反対はたいていの場合、特定の個人が特定の議員に働きかけることで十分に成立するということである。その意見が多数である必要など全くない。議員の耳に届いたら、一部の意見も全体の意見にされる。田舎の議員はそんなもの。学童なんて、誰も見に来たことすらないのに。
 小さな地域なのだから、障害児の保護者もそれ以外の保護者もみんな集まって、とことんまで対話を繰り返したら、どのような変化が必要なのかを合意形成できそうに思う。障害児の受け入れに対して、冷淡な保護者は自分の知る限り、いない(指導員にはいる)。場所が狭く、子どもの多さに対して指導員の人数も十分に確保できていない学童の現況が子どもにとって理想的だと言う者もいない。しかし、利用料があがることは、決してそれらのテーマと結びついてイメージされない。サービスの質の向上や必要な支援の充実とは別の問題として扱われてしまう。そして、「金はあるところにはあるはず」とみんな考える。自治体はずっと金がないと言ってきたから、住民に特段の危機感は伝わらない。そして、たとえ金があるところにあったとしても、それを必要なところに引っ張れるかどうかは自治体内部の話。現実には受け止めざるを得ない場面が多々ある。
 やはり小さな共同体の中で住民どうしが互いの生活の事情にまで深入りしながら意思決定をしていくほうが合理的なのだろうか。それは地域のしがらみが強く、想像力のない社会とは思うが、何もわかっちゃいない人たちに物事を決められるよりはましかもしれない。